第38話 サイバーカスケード
文字数 1,951文字
僕が部室に来ると、椅子に座りながら肘を膝にあて、手をぶらーん、と垂らして床を向いている一年生の青島くんがいた。
月天くんは、今はいないようだ。
青島くんは、独りで肩を落としている。
「どうしたのさ、青島くん」
「おはよーございます、山田先輩。いや、おれは大丈夫っすよ」
「大丈夫そうには見えないけど」
「インターネットなどで『プロ作家は何々はしない』って語るひとのほとんどがプロじゃないんじゃないか問題を考えていたんですよ」
「またしょーもないことを。で、それに関して、青島くんはどう思うの」
「サイバーカスケードって言葉、あったじゃないっすか」
「あったね。ていうか、あるね、今も」
「インターネットの辞書を引くと
「インターネットには同じ考えや感想を持つ者同士を結びつけることを極めて簡易にする特徴がある。
「つまり人々は、インターネット上の記事や掲示板等を通じて、特定のニュースや論点に関する考えや、特定の人物・作品等に関する反発や賛美などの感想を同じくする者を発見することができるようになる。
「加えて、インターネットは不特定多数の人々が同時的にコミュニケートすることを可能にする媒体でもあるので、きわめて短期間かつ大規模に、同様の意見・感想を持つ者同士が結びつけられることになる。
「その一方で、同種の人々ばかり集結する場所においては、異質な者を排除する傾向を持ちやすく、それぞれの場所は排他的な傾向を持つようになる。
「そうした環境の下では、議論はしばしば元々の主義主張から極端に純化・先鋭化した方向に流れ(リスキーシフト)、偏向した方向に意見が集約される。
「そして、そのような場所では、自分たちと反対側の立場を無視・排除する傾向が強化され、極端な意見が幅を効かせるようになりやすい。
「そして、小さな流れも集まれば石橋をも押し流す暴流となる道理で、ささやかな悪意や偏向の集結がえてして看過し得ぬ事態を招いてしまう。
「こうしてインターネットは極端化し閉鎖化してしまったグループ(エンクレーブと呼ばれる)が無数に散らばり、相互に不干渉あるいは誹謗中傷を繰り返す、きわめて流動的で不安定な状態となる可能性がある。
「サイバーカスケードとはこうした『人々が一団となって段階的に押し流されてしまう』一連の現象に与えられた比喩的な呼称である。
「と、書かれてるっすね」
「重要なので抜粋すると、……こういう説明になるのかぁ」
「これはこれでいいとこ突いてると思うっす」
「そうだね」
「インターネットのプロ創作論のひとの発言ってバズってることが多いけど、どちらかというと、発話者自体よりも、『自分の考えに近い』、または『自分と相いれない』考え方が書かれているのを見て反応してるだけのような気がするっす」
「どういうこと?」
「賛美したり揚げ足を取ったり。それは自分の敵か味方かを判断して騒いでるゲームのようにも思えるんすよね」
「サイバーカスケードの理屈みたく?」
「そうなんすよ」
「だとしたら、平行線だね」
「で、何々を言うのはプロじゃない、っていうプロはプロか否かって話は、〈読んでるそいつにはプロ論を書いてる奴がプロに見えるか見えないか〉って話で」
「ふむふむ」
「〈見えたらおれの仲間〉〈見えなかったらおれの敵〉で、仲間はプロであって欲しいし、見えなかったらプロじゃない方が望ましい、ということですよね。それで、プロかプロじゃないかって問題にすり替わる」
「発話者としては自分はプロだとして上から目線で発言してるんだけど、それを取沙汰する方も、自分流のプロ意識を持っていて、プロ意識で上からジャッジするってことだね、要するに」
「つまり、〈新たな発見なんてそこにはまるでない〉ことになるっす」
「敵味方を識別するリトマス試験紙……と、言えばいいのかな」
「そういうことっすね」
「で、さぁ。なんで元気ないの、青島くん。うなだれてたじゃん、さっき、僕が部室に来たとき」
「……寝不足っす」
「ああ……」
僕は思いだした。
青島くんは執筆しだしたら意識の奔流が押し寄せる〈執筆バーサーカー〉なのだった。
いつもバーサーカーなわけじゃなく、疲れてしまうときはぐったりするんだな、と思った。
そりゃそうだ、にんげんだもの。
僕はお茶を飲むための電気ポットに水道水を入れるため、棚まで移動する。
歩いて青島くんを通過するとき、肩を叩いて、
「お疲れさま」
と、言った。
青島くんは、静かに微笑み、机にうなだれて目を閉じたかと思うと、いびきを立てて眠り始めた。
夕方の部室に、橙色の日が射した。
〈了〉
月天くんは、今はいないようだ。
青島くんは、独りで肩を落としている。
「どうしたのさ、青島くん」
「おはよーございます、山田先輩。いや、おれは大丈夫っすよ」
「大丈夫そうには見えないけど」
「インターネットなどで『プロ作家は何々はしない』って語るひとのほとんどがプロじゃないんじゃないか問題を考えていたんですよ」
「またしょーもないことを。で、それに関して、青島くんはどう思うの」
「サイバーカスケードって言葉、あったじゃないっすか」
「あったね。ていうか、あるね、今も」
「インターネットの辞書を引くと
「インターネットには同じ考えや感想を持つ者同士を結びつけることを極めて簡易にする特徴がある。
「つまり人々は、インターネット上の記事や掲示板等を通じて、特定のニュースや論点に関する考えや、特定の人物・作品等に関する反発や賛美などの感想を同じくする者を発見することができるようになる。
「加えて、インターネットは不特定多数の人々が同時的にコミュニケートすることを可能にする媒体でもあるので、きわめて短期間かつ大規模に、同様の意見・感想を持つ者同士が結びつけられることになる。
「その一方で、同種の人々ばかり集結する場所においては、異質な者を排除する傾向を持ちやすく、それぞれの場所は排他的な傾向を持つようになる。
「そうした環境の下では、議論はしばしば元々の主義主張から極端に純化・先鋭化した方向に流れ(リスキーシフト)、偏向した方向に意見が集約される。
「そして、そのような場所では、自分たちと反対側の立場を無視・排除する傾向が強化され、極端な意見が幅を効かせるようになりやすい。
「そして、小さな流れも集まれば石橋をも押し流す暴流となる道理で、ささやかな悪意や偏向の集結がえてして看過し得ぬ事態を招いてしまう。
「こうしてインターネットは極端化し閉鎖化してしまったグループ(エンクレーブと呼ばれる)が無数に散らばり、相互に不干渉あるいは誹謗中傷を繰り返す、きわめて流動的で不安定な状態となる可能性がある。
「サイバーカスケードとはこうした『人々が一団となって段階的に押し流されてしまう』一連の現象に与えられた比喩的な呼称である。
「と、書かれてるっすね」
「重要なので抜粋すると、……こういう説明になるのかぁ」
「これはこれでいいとこ突いてると思うっす」
「そうだね」
「インターネットのプロ創作論のひとの発言ってバズってることが多いけど、どちらかというと、発話者自体よりも、『自分の考えに近い』、または『自分と相いれない』考え方が書かれているのを見て反応してるだけのような気がするっす」
「どういうこと?」
「賛美したり揚げ足を取ったり。それは自分の敵か味方かを判断して騒いでるゲームのようにも思えるんすよね」
「サイバーカスケードの理屈みたく?」
「そうなんすよ」
「だとしたら、平行線だね」
「で、何々を言うのはプロじゃない、っていうプロはプロか否かって話は、〈読んでるそいつにはプロ論を書いてる奴がプロに見えるか見えないか〉って話で」
「ふむふむ」
「〈見えたらおれの仲間〉〈見えなかったらおれの敵〉で、仲間はプロであって欲しいし、見えなかったらプロじゃない方が望ましい、ということですよね。それで、プロかプロじゃないかって問題にすり替わる」
「発話者としては自分はプロだとして上から目線で発言してるんだけど、それを取沙汰する方も、自分流のプロ意識を持っていて、プロ意識で上からジャッジするってことだね、要するに」
「つまり、〈新たな発見なんてそこにはまるでない〉ことになるっす」
「敵味方を識別するリトマス試験紙……と、言えばいいのかな」
「そういうことっすね」
「で、さぁ。なんで元気ないの、青島くん。うなだれてたじゃん、さっき、僕が部室に来たとき」
「……寝不足っす」
「ああ……」
僕は思いだした。
青島くんは執筆しだしたら意識の奔流が押し寄せる〈執筆バーサーカー〉なのだった。
いつもバーサーカーなわけじゃなく、疲れてしまうときはぐったりするんだな、と思った。
そりゃそうだ、にんげんだもの。
僕はお茶を飲むための電気ポットに水道水を入れるため、棚まで移動する。
歩いて青島くんを通過するとき、肩を叩いて、
「お疲れさま」
と、言った。
青島くんは、静かに微笑み、机にうなだれて目を閉じたかと思うと、いびきを立てて眠り始めた。
夕方の部室に、橙色の日が射した。
〈了〉