第63話 ぶんぶんがくがく:3(下)
文字数 2,400文字
月天は顔を上げると、ぼーっと天井を眺めた。
「殺されるかと思った」
おれは言う。
「死ななくて良かったぜ」
しかし、月天は、不安げだ。
「でも、いつかは、死ぬんだよな」
「ひとは、そりゃ死ぬだろ」
「〈今日生きているように明日も生きると思ってる、ぶっ殺されるだなんて考えたことのない状態〉から〈今日生きたようにぶっ殺されることはないだろう、と思う〉考え方へ、いつかシフトした。けど、やっぱり今日生きたように明日も生きていられることには、〈根拠なんてない〉んだよ」
「死を、意識したってことか」
「ちょっとちげぇなぁ。なんつーか。意識にのぼることすらなかった状態から、意識する状態になったとき、おれが生きてきて明日も生きられる、その根拠がなにもないことに気づく」
「なるほどな。……じゃ、ちょっと待っててくれ。ここの売店、まだやってるんだよな。こんな時間なのに。なにか買ってくるよ。話はその後だ」
「ああ。わりぃな、いつも」
「今日は謝ってばかりだな、月天」
「謝りたくもなるさ」
「そんなもんかね」
おれは売店で、たらふくジュースと駄菓子を買った。
そして、病室に戻る。
消灯時間?
知るか、そんなもん。
*******************
病室で駄菓子をサイドテーブルに広げ、おれと月天は会話を続行する。
「月天がさっき言ってたことは、超重要な話なんだ」
「と、いうと? どの話だ?」
「〈今日生きているように明日も生きると思ってる、ぶっ殺されるだなんて考えたことのない状態〉から〈今日生きたようにぶっ殺されることはないだろう、と思う〉考え方へ、いつかシフトした。だけど、やっぱり今日生きたように明日も生きていられることには、〈根拠なんてない〉…………って話さ」
「重要って、なににとって、どう重要なんだ?」
「今日、ぶっ殺されなかったのに、根拠はない。でも、おびえてるわけじゃなく、明日も生きていくわけだ。なんとなく、明日も殺されないで生きているような気がするだろ。そうそうに殺される事態はない、とひとは考えがちだ。たとえばサイドテーブルに今、並べている駄菓子やジュース。食べて、飲むだろ。毒が盛ってないと、100パーセントで言えるか? 言えないよな。でも、食べるわけだ。なぜ食べる? それは今まで毒殺されてないから、今回も毒は盛ってないだろうと、これをつくった駄菓子メーカーやジュースメーカーを、つまり〈身も知らぬ他人〉を〈信頼〉しているからだ」
「信頼……か」
「信頼は『二重の偶発性』からできている。二重の偶発性ってのは、偶発的な自分の振る舞いが偶発的な他者の振る舞いに依存するってことだ」
「二重の偶発性?」
「〈必然〉ではなく、〈偶然〉で〈自分〉が選んだ行為が成功するのは、〈相手〉が、やはり必然ではなく〈偶然〉選んだその行為が成功したからだ。これが、二重の偶発性。〈偶発性〉ってのは、〈偶然に発生すること。思いがけずに起こること〉を指す言葉だ」
「不確実なものに寄り添っているのが〈信頼〉ということか」
「そう。この前、おれは月天に〈ホッブズから影響を受けている〉と言ったし、その通りだけど、〈社会〉を〈記述〉するには、〈自然権譲渡〉じゃ役不足なんだ。〈合意〉でもな。もちろん、そこにある前提が、『国家はリバイアサンで、暴力装置。ガッチガチに縛り付けなくちゃならない』って言うことに関してはその通りで、そこから法の大切さがわかるから、大切なことだ。でも、〈二重の偶発性が、自然権譲渡や価値合意によって出発点で消去されるなんて馬鹿げてる。『あり得ない』と70年代初頭に宣言〉した学者がいる」
「もちろん、その学者は言い逃げじゃなく、代替案を出したんだよな?」
「立派な理論を確立させたさ、その学者は」
「ほぅ」
「おれらの住むこの生活世界は信頼に満たされている。その〈信頼〉とは、〈根拠のない〉循環なんだ。自分は〈たぶん自分は刺されない〉と〈根拠なく信頼〉して、知らない人に文句を言う。文句を言ったが、たまたま刺されなかったので再び刺されないと〈信頼して〉また知らない人に文句を言う。その繰り返し、なんだよ。その信頼に〈出発点の合意〉はない。その信頼だって、時折、破られる。いや、信頼が裏切られるなんてしょっちゅうあることだ。誰もが〈知っている〉。でも〈信頼〉する。そこには法的メカニズムも効いている。だけど、法があったところで、そんなもん、確実ではない。そこからわかるように、〈出発点で譲渡したり合意すれば信頼が担保されるわけがない〉んだ。コミュニケーションてもんは、そもそも論理的に確認できない前提に支えられてできている」
「つまりは。論理的に確認できない、コミュニケーションて奴の前提……それが〈信頼〉っていう〈モデル〉だって話か」
「そうなんだ。永続的に解決することのない課題を抱えながら、その不確定性のなかで自己を維持する、っていう信頼モデルでこそ、社会は記述できる。もう一度言うと、自然権譲渡や価値合意では、信頼が担保されるわけがない。自然権譲渡という出発点ではこの不確実性は消去できない。……根拠なき信頼で、ひとは生きるしかない」
「で、これはどういう話だったんだ」
「月天の考えは、至極まともだ、ってことさ」
「じゃあ、駄菓子でも食おうぜ。毒入りじゃないことを願って、な」
「だな」
消灯時間は過ぎたらしい。廊下の灯りは消え、病室も見回りが来るかも、だ。
だが、おかまいなしにおれたちはスタンドのライトで照らされたサイドテーブルの上の駄菓子を食べはじめる。
今日はこの病室で朝まで過ごそうか、と思う、おれなのだった。
〈了〉
「殺されるかと思った」
おれは言う。
「死ななくて良かったぜ」
しかし、月天は、不安げだ。
「でも、いつかは、死ぬんだよな」
「ひとは、そりゃ死ぬだろ」
「〈今日生きているように明日も生きると思ってる、ぶっ殺されるだなんて考えたことのない状態〉から〈今日生きたようにぶっ殺されることはないだろう、と思う〉考え方へ、いつかシフトした。けど、やっぱり今日生きたように明日も生きていられることには、〈根拠なんてない〉んだよ」
「死を、意識したってことか」
「ちょっとちげぇなぁ。なんつーか。意識にのぼることすらなかった状態から、意識する状態になったとき、おれが生きてきて明日も生きられる、その根拠がなにもないことに気づく」
「なるほどな。……じゃ、ちょっと待っててくれ。ここの売店、まだやってるんだよな。こんな時間なのに。なにか買ってくるよ。話はその後だ」
「ああ。わりぃな、いつも」
「今日は謝ってばかりだな、月天」
「謝りたくもなるさ」
「そんなもんかね」
おれは売店で、たらふくジュースと駄菓子を買った。
そして、病室に戻る。
消灯時間?
知るか、そんなもん。
*******************
病室で駄菓子をサイドテーブルに広げ、おれと月天は会話を続行する。
「月天がさっき言ってたことは、超重要な話なんだ」
「と、いうと? どの話だ?」
「〈今日生きているように明日も生きると思ってる、ぶっ殺されるだなんて考えたことのない状態〉から〈今日生きたようにぶっ殺されることはないだろう、と思う〉考え方へ、いつかシフトした。だけど、やっぱり今日生きたように明日も生きていられることには、〈根拠なんてない〉…………って話さ」
「重要って、なににとって、どう重要なんだ?」
「今日、ぶっ殺されなかったのに、根拠はない。でも、おびえてるわけじゃなく、明日も生きていくわけだ。なんとなく、明日も殺されないで生きているような気がするだろ。そうそうに殺される事態はない、とひとは考えがちだ。たとえばサイドテーブルに今、並べている駄菓子やジュース。食べて、飲むだろ。毒が盛ってないと、100パーセントで言えるか? 言えないよな。でも、食べるわけだ。なぜ食べる? それは今まで毒殺されてないから、今回も毒は盛ってないだろうと、これをつくった駄菓子メーカーやジュースメーカーを、つまり〈身も知らぬ他人〉を〈信頼〉しているからだ」
「信頼……か」
「信頼は『二重の偶発性』からできている。二重の偶発性ってのは、偶発的な自分の振る舞いが偶発的な他者の振る舞いに依存するってことだ」
「二重の偶発性?」
「〈必然〉ではなく、〈偶然〉で〈自分〉が選んだ行為が成功するのは、〈相手〉が、やはり必然ではなく〈偶然〉選んだその行為が成功したからだ。これが、二重の偶発性。〈偶発性〉ってのは、〈偶然に発生すること。思いがけずに起こること〉を指す言葉だ」
「不確実なものに寄り添っているのが〈信頼〉ということか」
「そう。この前、おれは月天に〈ホッブズから影響を受けている〉と言ったし、その通りだけど、〈社会〉を〈記述〉するには、〈自然権譲渡〉じゃ役不足なんだ。〈合意〉でもな。もちろん、そこにある前提が、『国家はリバイアサンで、暴力装置。ガッチガチに縛り付けなくちゃならない』って言うことに関してはその通りで、そこから法の大切さがわかるから、大切なことだ。でも、〈二重の偶発性が、自然権譲渡や価値合意によって出発点で消去されるなんて馬鹿げてる。『あり得ない』と70年代初頭に宣言〉した学者がいる」
「もちろん、その学者は言い逃げじゃなく、代替案を出したんだよな?」
「立派な理論を確立させたさ、その学者は」
「ほぅ」
「おれらの住むこの生活世界は信頼に満たされている。その〈信頼〉とは、〈根拠のない〉循環なんだ。自分は〈たぶん自分は刺されない〉と〈根拠なく信頼〉して、知らない人に文句を言う。文句を言ったが、たまたま刺されなかったので再び刺されないと〈信頼して〉また知らない人に文句を言う。その繰り返し、なんだよ。その信頼に〈出発点の合意〉はない。その信頼だって、時折、破られる。いや、信頼が裏切られるなんてしょっちゅうあることだ。誰もが〈知っている〉。でも〈信頼〉する。そこには法的メカニズムも効いている。だけど、法があったところで、そんなもん、確実ではない。そこからわかるように、〈出発点で譲渡したり合意すれば信頼が担保されるわけがない〉んだ。コミュニケーションてもんは、そもそも論理的に確認できない前提に支えられてできている」
「つまりは。論理的に確認できない、コミュニケーションて奴の前提……それが〈信頼〉っていう〈モデル〉だって話か」
「そうなんだ。永続的に解決することのない課題を抱えながら、その不確定性のなかで自己を維持する、っていう信頼モデルでこそ、社会は記述できる。もう一度言うと、自然権譲渡や価値合意では、信頼が担保されるわけがない。自然権譲渡という出発点ではこの不確実性は消去できない。……根拠なき信頼で、ひとは生きるしかない」
「で、これはどういう話だったんだ」
「月天の考えは、至極まともだ、ってことさ」
「じゃあ、駄菓子でも食おうぜ。毒入りじゃないことを願って、な」
「だな」
消灯時間は過ぎたらしい。廊下の灯りは消え、病室も見回りが来るかも、だ。
だが、おかまいなしにおれたちはスタンドのライトで照らされたサイドテーブルの上の駄菓子を食べはじめる。
今日はこの病室で朝まで過ごそうか、と思う、おれなのだった。
〈了〉