第75話 古典文学病

文字数 1,355文字

「〈古典文学病〉という、痛ましいビョーキがある」

 突然、部長が僕に言った。
 部室に西日が差し込み、埃がチラチラ舞う。

「萌木部長。なんです、そのビョーキとやらは」

「ふむ。山田は最近青空文庫読みまくってると聞いたので、忠告さ」

「忠告?」

「古典文学や近代文学にハマると、現代の現在の小説が読めなくなるぞ。気をつけろ。〈読み専〉ならいいが、自分が〈小説書き〉だと、それは危険だ。〈時流を読め〉よ、たまには、な」

 僕は、あはは、と口に出して笑った。

「それで〈古典文学病〉かぁ。よく考えたネーミングだなぁ。確かに、病気のようになりますよね。作家の交友関係や師弟関係、ライバル関係も調べ出しちゃって、抜け出れないですもん、僕」

「だろ? 気をつけろよー」

「でも、そういう時期も必要だ、って言うんでしょ、部長」

「その通りだ。それに……寄り道はした方がいい、という意見もある。大いに寄り道を楽しめ」

「寄り道?」

「基本、プロ作家になったら、大なり小なりなんらかのオーダーがあって、商業出版の本は書くことになる。それがほとんどの場合だろう、自主的な活動を抜かせばな。でも、プロじゃないなら、その逆を、考えてみた方がいい。つまり、ひとつの作品に、自分のエッセンスを全部、詰め込む」

「全部……詰め込む…………?」

「別にごちゃごちゃした内容や文体の作品を書けと言っているわけではないぞ。エッセンスを凝縮して、提示するんだ」

「具体的には?」

「三島由紀夫は、『花ざかりの森』という中編小説をはじめ、初期は短編小説を書いていた。そんなときに、出版社から『名刺代わりになるような長編小説を書いてみないか』と言われ書いた、初の長編小説が『仮面の告白』という私小説だったんだ。仮面の告白は、そういう意味では処女作に近い位置づけだ。名刺代わりになる小説をオーダー通りに仕上げたわけだな」

「ふむふむ」

「新人賞は大体長編だ。だったら、三島の『仮面の告白』のように名刺代わりになるような作品を目指すのが一番だと、おれは思う。それと『仮面の告白』は、ほかの作家の処女長編と同様、彼のその後に繋がるエッセンスがすべて入っている、とも言われている」

「処女作って、大切なんだなぁ」

「小説は、〈手持ちの武器で戦う〉のが基本だろう。手持ちの武器はひとそれぞれだ。だからその個性、つまり手持ちの武器、それをフル活用させて書くんだよ。詰め込んでしまえよ、全部」



 僕は萌木部長の顔を見た。
 まっすぐにこっちを見ていた。
 僕も目を合わす。
 言い知れぬ真剣さが、僕にも伝わった。


 しばらくそうしていると、お手洗いから帰ってきた佐々山さんが、
「きゃーーーーーー。ほもいよ、そこの二人ィ!」
 と、指を鳴らして喜び、それからぐへへへへ、ととろけるチーズのように、ぐでーっとなって椅子に座った。


「どうぞ。続きをどうぞ、二人とも! どうぞったら! もー、続きを見せてよねー。ど・う・ゾ」

 佐々山さんが促しているが、僕は部長に、
「試してみます」
 と、お辞儀してから、自分のパソコンに向き合った。

 佐々山さんは、
「本日の課題は若人たちに任せて、今日のわたしはひとり、即興でボーイズラブ短編を書くわ」
 と、宣言する。

 モデルにされたら敵わないな、と思いながら、僕はパソコンのキーボードを打つ。




〈了〉
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