第120話 さよなら、あの日死んだ僕。

文字数 1,176文字

 殻に閉じこもってないかい?
 殻に閉じこもってないかい?
 見えない檻の中で澱のようにどろどろになったものが吐き出され、精神が蝕まれていく。
 気が違うほど眺めてきたここがどこだかわからなくなっている。
 気が利いたジョークなんて言えない僕らは、苦笑いで嘲笑いを避けるだけだ。
 僕はここでこうしてやり過ごしてどこに行きたいって言うんだろう。
 どこへも行けやしないのに。
 あまりに感傷的な、ナルシズムが僕を包み込むように、自傷へと走らせる。
 僕の手首のかさぶたに、セイダカアワダチソウが寄生する。
 みんな、なにがおかしくて僕を笑ってるんだろう。
 君が飛ばした大きな風船を受け取り、僕も弾いてみる。
 歪みながらふわふわ大きな風船は飛んで、落ちてきてまた叩いて飛ばす。
 それは言葉よりも確かなものだった。
 僕が自分の手首を覗くと、風船は弾けた。
 所詮誰も僕を好きなわけがないのだ。
 可視化された悪意の針に弾けた風船。
 濁った瞳。
 濁った言葉。
 濁った顔。
 濁った生活。
 濁った仕事。
 濁った……街の人々。
 無駄な人々は、それでも狂騒を繰り返す。
 僕はなにか思い違いをしていたのかもしれない。
 僕なんて最初からいなかった。
 君が見た僕は僕じゃなくて、その残像だ。
 僕なんて存在しない、魂のない虚数の残滓。
 お茶を飲んだときに見た白昼夢は、僕が僕を殺す夢。
 僕には僕のことしか見えない。
 僕。僕。僕。僕。僕の下僕の僕。
 よく言うだろう、理想の自分と現実の自分を見比べて絶望してるのはバカだ、と。
 じゃあ、僕はバカで良い。
 理想は低くも高くも同じだ、踏まれて潰されてぺしゃんこになるのだから。
 大きな理想でも夢見て、血を流そう。
 鈍痛が走る、今日も殴られて。
 あいつらは一体ななんだったのだろう。
 今日じゃない今日、過去に、僕は男に殴られ続け、その横で高慢な女が「おほほほほ、ザマァ」と僕に言って鼻息を荒くした。
 死んだ方が良いんだろう、きっと。
 みんな死ぬ僕を拍手で送り出してくれるから。
 泣くには涙がもう残っていない。
 衣食住に困っていないからの悩みだ、と他人が僕に言った。
 そうだね、と味のなくなったガムを噛みながら目をそらした。
 気を失え。
 気を失え。
 正気を失え。
 正気を失え。
 つらかったら他人から逃げろ。
 立ち向かえ、自分と。
 トランペッターは喇叭を鳴らす。
 僕は喇叭を吹いて、あはは、と嘔吐した。
 世界内存在。
 世界外存在。
 僕はもうどこにもいない。
 どこにもいないんだ。
 あの日死んだ僕と、病室で目が覚めた知らない男は、同一人物ではないんだよ。
 あの日死んだ僕に花を手向ける人は誰もいやしないから、僕は清酒を頭からかぶる。
 飛んだ茶番だったようだね。
 グッド・バイ。
 ロング・グッドバイだ。
 さよなら、あの日死んだ僕。
 さよなら、あの日死んだ夢。




〈了〉
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