第22話 〈削ぎ落す〉が〈神は細部に宿る〉
文字数 1,869文字
「おはよーモーニング!」
「あ。佐々山さん、おはよう」
「相変わらず暗いわね。もっと笑顔よ、山田くん。良い笑顔も出来ないようじゃ、逃げていくわよ、萌木部長が」
「萌木部長が?」
「ほら、だって年上彼氏でしょ、萌木部長が山田くんの」
「部長は彼氏じゃありません!」
「そう隠さなくてもいいのよ、わたしが相談に乗ってあげるから。部長と喧嘩でもした? 痴話喧嘩を」
「喧嘩なんてしてません。そもそも僕が暗いのは生まれつきです。もしくは、成長過程でそうなったんです。デフォルトです、これが僕の」
「あー、はいはい。そういうことにしておいてあげるわ」
僕は部室の電気ポットからお茶の葉を入れた急須にお湯を注ぐ。
グリーンティの完成だ。
「佐々山さんも、飲む?」
「購買部でミルクティ買ってきてるわ」
「ふぅん」
僕と佐々山さんは各々にお茶を飲む。緑茶と、ミルクティ。
「読みやすい文章って、なにかしらねぇ」
「うーん。僕の私見だけど、数学者や理系のひとが書く文章は、ロジックがしっかりしていて読みやすい印象があるな」
「論文の書き方はロジカルだものね」
「うん。それに上手い書き手は、〈削ぎ落す〉のが得意。無駄が省ければ、読みやすくはなる」
「でも、〈神は細部に宿る〉のよね。一瞬、無駄な描写こそが、その文章、特に小説の小説であることの証明でもあるわ」
「それにみんな勘違いしてるんだ。読みやすい文章と、漢字とひらがなカタカナの比率は、読みやすい文章と読みづらい文章をわけたときに、イコールで結ばれるわけではない」
「難しい漢字をたくさん使っていても、読みやすい文章でもある、って場合があるわね」
「逆に、小学生で習う言葉だけを使ってつくる文章で、稚拙に思えるけど読みやすく、心を打つ文章はあるよね」
僕は湯飲みに注いだ緑茶を、ずずっとすする。
「具体的な言葉、つまり固有名詞をたくさん使えば難しい印象を与える。でも、抽象的な言葉だけを使った小説は、抽象的なぶん、簡単な言葉でほかの言葉を代用できる」
「フランツ・カフカのことを言ってるみたいね」
「そうなんだよ、佐々山さん。カフカはページを開くと、翻訳は読みやすい言葉でできてる。でも、同時に〈難解〉なんだ」
「内容が、ってことね」
「『読みやすい文章は稚拙な文章である』っていう暴論があるんだけれども、それに対して、僕は思った」
「今、話した内容を?」
「読みやすい文が稚拙だっていうひとは、そのひとの人生の中では、確かにそうだったのだろうとは思う」
「読みやすいけど稚拙な文章っていうものとしか巡り合わなかったのね」
「そう。でも、特に〈詩人〉には読みやすさ、言い換えれば〈リーダビリティ〉を重視した書き手が多い」
「へー。具体的には誰? 差し支えなければ言ってみなさいよ」
「谷川俊太郎さんの詩は、圧倒的にリーダビリティが高い」
「谷川俊太郎は、言葉を削ぎ落しているわよね。それでいて、クリティカルな一文を、一発でキメるわね」
「そうなんだよ。それに、相田みつをの、簡単で短い文章で書かれた書。あれを心の拠り所にしているひとも多いって聞くよ」
「いずれも評価の毀誉褒貶が激しい詩人だけどね。……でもどうしたの、山田くん。いきなりそんなこと語って」
「IME(漢字変換システム)と、類語辞典で『武装』しても、仕方ないよなーって。耽美な文章だけど内容が全くないって小説、あるからなぁ」
「それはそれで、耽美な文章をつくるにも、その構築のための勉強は圧倒的に必要だし、言葉が難しいのに内容がないって場合でも〈読ませる〉ものも、あるわよ」
「と、すると。書き手も読者も、一人一人好みが違っていて、稚拙の逆……つまり上手い文章の定義の了解は取れないってことかな」
「そう。趣味嗜好が違うもの同士でこの論争を続けても、平行線をたどるだけね」
「僕も自分の流儀を、見せつけなくちゃならないときが来るのかな」
「はぁ、山田くん。そう思うならいますぐ実践しなさい。パソコンの前に座りなさいな」
「解決しない論争より、実作品で、示すのか」
「わかってるじゃないの。さぁ、遅筆の山田くん! 期待してるわよ。わたしも、萌木部長も」
「萌木部長の話はもういいですってば。付き合ってません」
「怪しいなぁ?」
どのみち、僕らは全力で書くしかないんだ、自分の信じる文学を。
〈了〉
「あ。佐々山さん、おはよう」
「相変わらず暗いわね。もっと笑顔よ、山田くん。良い笑顔も出来ないようじゃ、逃げていくわよ、萌木部長が」
「萌木部長が?」
「ほら、だって年上彼氏でしょ、萌木部長が山田くんの」
「部長は彼氏じゃありません!」
「そう隠さなくてもいいのよ、わたしが相談に乗ってあげるから。部長と喧嘩でもした? 痴話喧嘩を」
「喧嘩なんてしてません。そもそも僕が暗いのは生まれつきです。もしくは、成長過程でそうなったんです。デフォルトです、これが僕の」
「あー、はいはい。そういうことにしておいてあげるわ」
僕は部室の電気ポットからお茶の葉を入れた急須にお湯を注ぐ。
グリーンティの完成だ。
「佐々山さんも、飲む?」
「購買部でミルクティ買ってきてるわ」
「ふぅん」
僕と佐々山さんは各々にお茶を飲む。緑茶と、ミルクティ。
「読みやすい文章って、なにかしらねぇ」
「うーん。僕の私見だけど、数学者や理系のひとが書く文章は、ロジックがしっかりしていて読みやすい印象があるな」
「論文の書き方はロジカルだものね」
「うん。それに上手い書き手は、〈削ぎ落す〉のが得意。無駄が省ければ、読みやすくはなる」
「でも、〈神は細部に宿る〉のよね。一瞬、無駄な描写こそが、その文章、特に小説の小説であることの証明でもあるわ」
「それにみんな勘違いしてるんだ。読みやすい文章と、漢字とひらがなカタカナの比率は、読みやすい文章と読みづらい文章をわけたときに、イコールで結ばれるわけではない」
「難しい漢字をたくさん使っていても、読みやすい文章でもある、って場合があるわね」
「逆に、小学生で習う言葉だけを使ってつくる文章で、稚拙に思えるけど読みやすく、心を打つ文章はあるよね」
僕は湯飲みに注いだ緑茶を、ずずっとすする。
「具体的な言葉、つまり固有名詞をたくさん使えば難しい印象を与える。でも、抽象的な言葉だけを使った小説は、抽象的なぶん、簡単な言葉でほかの言葉を代用できる」
「フランツ・カフカのことを言ってるみたいね」
「そうなんだよ、佐々山さん。カフカはページを開くと、翻訳は読みやすい言葉でできてる。でも、同時に〈難解〉なんだ」
「内容が、ってことね」
「『読みやすい文章は稚拙な文章である』っていう暴論があるんだけれども、それに対して、僕は思った」
「今、話した内容を?」
「読みやすい文が稚拙だっていうひとは、そのひとの人生の中では、確かにそうだったのだろうとは思う」
「読みやすいけど稚拙な文章っていうものとしか巡り合わなかったのね」
「そう。でも、特に〈詩人〉には読みやすさ、言い換えれば〈リーダビリティ〉を重視した書き手が多い」
「へー。具体的には誰? 差し支えなければ言ってみなさいよ」
「谷川俊太郎さんの詩は、圧倒的にリーダビリティが高い」
「谷川俊太郎は、言葉を削ぎ落しているわよね。それでいて、クリティカルな一文を、一発でキメるわね」
「そうなんだよ。それに、相田みつをの、簡単で短い文章で書かれた書。あれを心の拠り所にしているひとも多いって聞くよ」
「いずれも評価の毀誉褒貶が激しい詩人だけどね。……でもどうしたの、山田くん。いきなりそんなこと語って」
「IME(漢字変換システム)と、類語辞典で『武装』しても、仕方ないよなーって。耽美な文章だけど内容が全くないって小説、あるからなぁ」
「それはそれで、耽美な文章をつくるにも、その構築のための勉強は圧倒的に必要だし、言葉が難しいのに内容がないって場合でも〈読ませる〉ものも、あるわよ」
「と、すると。書き手も読者も、一人一人好みが違っていて、稚拙の逆……つまり上手い文章の定義の了解は取れないってことかな」
「そう。趣味嗜好が違うもの同士でこの論争を続けても、平行線をたどるだけね」
「僕も自分の流儀を、見せつけなくちゃならないときが来るのかな」
「はぁ、山田くん。そう思うならいますぐ実践しなさい。パソコンの前に座りなさいな」
「解決しない論争より、実作品で、示すのか」
「わかってるじゃないの。さぁ、遅筆の山田くん! 期待してるわよ。わたしも、萌木部長も」
「萌木部長の話はもういいですってば。付き合ってません」
「怪しいなぁ?」
どのみち、僕らは全力で書くしかないんだ、自分の信じる文学を。
〈了〉