第115話 アブジェクシオン【第一話】

文字数 1,246文字

 部室の床をモップがけするおれと月天。
「夏休みだなー、ついに」
 おれが言うと月天は、
「青島はそればかりだな。高校の初めての夏休みってのに期待しすぎだと思うぜ?」
 と、肩をすくめた。

「おれは、同人ゲームのプロジェクトチームにはいたけど、部活ってのはまた格別だ。夢だったんだよな、部活動の夏ってのと、文学の夏を過ごすのが」

「青島の言うことはおれもわかるけどよー。おれも一人だったからな、ずっと」

「月天は不良グループには……入らないで暴れるタイプだもんな。よっ! 一匹狼さん!」

「一匹狼、笑えるな。そんなたいそうなものじゃねーよ。釘バット振り回してんだ、友達なんてできねーだろうよ」

「そりゃちげーねぇな」

 机などを部室の後方に移動させたその床を、モップがけする。
「プール清掃よりゃマシだな」
 と、月天。

「プール清掃も、漫画やアニメでお馴染みだな。そういや月天」

「ん? なんだ、青島?」

「アメリカあたりでは、自動車を泡立たせたスポンジで洗車してる女性、ってのがポルノグラビア扱いされている件について、意見を聞きたい」

「いや、洗車はエロいだろ」

「肯定派か」

「もちろんだ」

「母性を感じるのか。バブみって奴」

「それは違うな! でも、どうせ青島のことだから、母性の話がしたくて、その〈枕〉としてこの話を振ったんだろ?」

「その通り」

 月天がモップを動かす手と足を止める。
「で、なんの話だ、今回は」


「クリステヴァと、そのテクスト論についてだ」

「前に否定してなかったか、青島」

「テクスト論を語るというのは文学についても語っている、ということ。文学も詩と同様に、クリステヴァは『詩的言語』と呼んでいる。詩的言語とは、〈ロシア・フォルマリズム〉の用語から習ってクリステヴァが使っている言葉だ。文学は詩的言語だ、というわけなんだな」

「前の話だと、その詩的言語のテクスト論が、キャラクター論と齟齬を来す、ってことだったよな」

「そうなんだ。じゃあ、そのクリステヴァはどんな文学がつくられるのを望むのか。……それが今回の話だ」

「なるほど」

「キーワードは〈母性の潜勢力〉だ」


「母性の潜勢力……か。バブみからそこに繋がるってのもすごい溶接の仕方だな。〈文学DJ〉かよ。文学という(レコード)を回して曲間を溶接(シームレスに)する。まさにトラックメイカーやDJだ」
 月天はそう言うと、モップを置いて、
「お湯沸いてる、珈琲飲もうぜ。うまい棒も持ってきてある。休憩だ、休憩」
 と、背伸びをした。

「そういや、先輩たちは各々課外学習受けてるな。山田先輩は補習か。まー、それが終わる前にモップがけ終わらそうぜ。でも、エクリチュールに関しても、今、語っておきたいんだよな」

 おれと月天はポットのお湯でインスタント珈琲をつくり、部室後方からパイプ椅子だけを持ってきて、座った。

「お手柔らかに頼むぜ」
 と、月天が言うのでおれは、頷く。
「話はソシュール言語学から始まる」
 おれはマグカップを両手で包むように持ち、まず、そう前置きしてから、話を始めた……。




〈116話へ、続く〉
 
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