第123話 聖の不在と不在ゆえの聖(承前)

文字数 1,376文字

「男娼で泥棒だったジャン・ジュネを〈聖ジュネ〉として書いたのがサルトルだ。それに則って、やはりミシェル・フーコーは神への冒涜者であるマルキ・ド・サドを文学論で描き出した。今日の朝は、その話から部活を始めようか」
 部長が言う。
 一年生コンビの青島くんと月天くんも部室に来て、文芸部のメンバーが揃う。

 部長は珈琲カップを手に持ち、ずずずっとすすってから、話を続ける。
「〈聖〉と〈穢〉。サルトルの描いた〈聖ジュネ〉ことジャン・ジュネは男娼で泥棒だった。ジュネのその穢れをサルトルは〈聖〉に転嫁させたのだったな。この手法はのちに、フーコーによるマルキ・ド・サド解釈や、ドゥルーズによるザッヘル・マゾッホ解釈で反復されることになる。今回はフーコーの描いたサド像について話して、朝練の代わりにしよう」

 朝練というか、夏休みだから補習や課外授業以外の時間は部活動をひたすらするのだけどね、と思う僕。
 部長も朝早いしぼけぼけしてるのかな、と勘ぐりたくもなる。
 萌木部長は三年生だ。
 進路、決めたのかな。
 気になる。

「サドは『新ジュスティーヌ』のなかで、文人は真理を語るにじゅうぶんなほど哲学者でなければならない、と説明する。サドの言う真理とは、〈嫌悪や不快感を感じるようなもの〉で、なぜなら自分は犯罪をあるがまま、現実をあるがままに勝ち誇った崇高なものとして扱うからだ、という」

「どういうことです? その真理とやらは、嫌悪を感じる現実?」
 僕は首をかしげる。

「美徳はつねに罰せられ、悪徳はつねに報酬を受け、子供たちは虐殺され、若者や若い娘たちはバラバラにされ、身重の娘たちは首をくくられ、多くの病院が丸ごと焼かれる。こうしたことは聴いていて心地の良いものではないが、今述べたこれが〈現実〉であり、〈真理〉だ、とサドは言う。そしてサドは、今述べた内容と価値観の小説を書き続けた。それはサド自身が真理を語る哲学者だから、と言わんばかりだ」

 青島くんが、
「狂ってるっすね」
 と、ストレートな感想を言う。
 月天くんは、ひゅー、と口笛を鳴らす。
 愉快に感じたのかもしれない。

 部長は続ける。
「サドには非存在に関する四つのテーゼがある。それは〈神は存在しない〉、〈魂は存在しない〉、〈犯罪は存在しない〉、〈自然は存在しない〉、というテーゼだった」

 月天くんが、
「そりゃ何度も投獄されるわけだよな、マルキ・ド・サドは。サドは人生のほとんどを牢獄の中で暮らしてる。おれでも知ってるぜ」
 と、言う。
 佐々山さんはあごに手をあて、頷く。
「サドの中では〈聖〉と〈穢〉が反転していたのね。それこそ、小説の戦略ではなく、それが真理だと、彼は確信していたのでしょう」

 部長は笑いながら、付け加える。
「サドは、何度、書いた文章が没収されようと、燃やされようと、その自分が書いた文章のせいで監獄送りになりながらも、ひたすら小説を書き続けた。その意味でサドは〈本物〉の〈小説家〉だった、と言えるだろう。まあ、あまり褒めていると人間性を問われるから褒めたくないのだが」

「小説を書き続ける、ということがどういうことだか、考えさせられるわね」
 佐々山さんも、そう言いながらくすくす笑った。
 あー、佐々山さんなら、そう言うよね、と僕は思ったが、殴られそうなので口には出さなかったのであった。




〈124話へつづく〉
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