第46話 部則
文字数 2,046文字
「そういえば部長」
「なんだ、山田」
「うちの文芸部って部則、あるんですか」
「部則……ルールか」
「はい」
「ないことはないが」
「あるんですね」
「そりゃ、あるさ。先輩たちがつくった規則が、な」
「ああ。数年前まで、この文芸部は名門で、特にSFで有名なひとを多く輩出したんですよね」
「そうだよ。おれの兄も、そのうちのひとりだ。今は立派に商業作家やってるよ」
「その先輩たちがつくった規則かぁ。厳しそうだなぁ」
「ああ。だから、うちの文芸部は頻繁に『三題噺』を時間制限ありでつくるだろ。基礎練にあたるものにも力、入れてるってわけだ」
「ですね」
「企画書つくってキャラシートや世界観・設定をつくって、その後プロットをつくる、ってのもやってるし」
「この前のウェブコンクールのときのことですね。部活の各々が企画書、設定、プロットの順につくってノートに書いて見せ合って。それでみんなでひとりひとりの作品の企画などについて議論してから執筆に入りましたね」
「企画書の段階から何回もプレゼンやったな」
「大変でしたよぉ」
「まあ、そういうわけで、部活の内容も充実しているし、この〈方法論〉や〈実践〉を、投げ出さないように全員やる、っていう決まりがあったわけだよ」
「なるほど」
「だが、な。おれは思うんだ。ポリシーみたいなのが、おれのなかにあって、その考えは、部活の面々で共有したいと考えてる」
「へぇ。どんなポリシーですか?」
「創作を〈楽しむこと〉。〈楽しむこと、それ自体の喜びを大切にする〉こと、だな」
「んん? ちょっと難しいぞ、意味が僕にはわからないや」
「まあ、言い回しが悪いかもしれないな。いや、それはこういうことだ。誰にとっても、しあわせっていうのは良いことを楽しむこと〈自体に〉秘められているんじゃないか、ということなんだ」
「良いことを楽しむこと自体?」
「そうだ。創作をしていて、楽しむことそれ自体を大切にすればいいのに、ひとは自分と他人を比べてしまう。確かにひとと比べて競争心がモチベーションにもなるのだが、それは〈創作の楽しさ・つくることのしあわせ、とは違う〉と思うんだよ」
「と、いうと? どういうことですか?」
「他人が自分より優れていると〈思う〉と妬みや悪意に変わることがあるだろ。逆に自分が他人より優れていると〈思う〉と、それも妬みや悪意の反転した状態なんだ」
「妬みや悪意の反転した状態?」
「そう。他愛のないものならいいが、度の過ぎた優越感もまた、妬みや悪意の〈産物〉でしかない」
「部長。それは本当にそうなのでしょうか?」
「他人と比べても、〈創作の楽しみそれ自体〉は〈増えない〉んだよ。他人と比べて〈楽しみ〉が〈増えた〉と思った場合、それは創作の楽しみ自体ではなく、〈他人と比べた結果〉を喜んだり妬んだりしているわけだ。それは創作の楽しみそれ〈自体〉ではないのさ。他人と比べた時に増えるのは他人と比べた時の〈負をベースにした感情〉だ」
「つまり、楽しみそれ〈自体〉ではなく、〈違う要因〉が紛れ込んできてしまっている、と」
「そうだ。〈違う要因〉が混じると、それは〈楽しみ自体〉ではなくなってしまうんだ。そこに創作することの〈しあわせ〉は〈ない〉。その混じった不純物は、他人を妬んだり、逆に他人を見下したり、ということを生む。他人の不幸を願ったり、他人の不幸を喜んだり、といった事柄に〈すり替わってしまう〉んだ。〈楽しみそれ自体〉から遠ざかったそれは、本来の〈創作を楽しむ喜びと全く違う〉から、そこに〈他人というファクター〉を入れないで、あくまでも楽しむこと〈それ自体の喜び〉を大切にしていこう、とおれは思っているわけさ」
「うーん。で、それを大切にするとメリットがあるんですか?」
「創作の楽しみそれ自体が喜びで、創作をするしあわせってことだから、大仰に言うと、〈創作の喜び・しあわせ〉は〈そのひと自身のしあわせ〉に繋がる。ひとの不幸を願ったり他人の不幸を喜んだりすることは〈本当の喜びではない〉。妬みや悪意に心が囚われているだけさ」
「わかったような、わからないような。……でも、それが部長のポリシーで、共有したいこと、なんですね」
「ポリシーっていうと、言葉として違う気がするんだが、他になんて言えばいいのか、おれ自身にもちょっとわからない。だが、おれはそう願っているよ。『創作それ自体を楽しめ!』って、な」
「……創作それ自体を楽しめ、…………か。シンプルだけど、奥が深い言葉なんですね」
「奥が深いかはわからないが、シンプルだとは、思うよ。創作をしてハッピーになれれば、それに越したことはないさ」
「創作してハッピーになる、かぁ。いいですね。しかもそれは、他人とは関係がなくハッピーになれるっていう」
「ふぅ。喋ったら疲れた。珈琲を飲もう」
〈了〉
「なんだ、山田」
「うちの文芸部って部則、あるんですか」
「部則……ルールか」
「はい」
「ないことはないが」
「あるんですね」
「そりゃ、あるさ。先輩たちがつくった規則が、な」
「ああ。数年前まで、この文芸部は名門で、特にSFで有名なひとを多く輩出したんですよね」
「そうだよ。おれの兄も、そのうちのひとりだ。今は立派に商業作家やってるよ」
「その先輩たちがつくった規則かぁ。厳しそうだなぁ」
「ああ。だから、うちの文芸部は頻繁に『三題噺』を時間制限ありでつくるだろ。基礎練にあたるものにも力、入れてるってわけだ」
「ですね」
「企画書つくってキャラシートや世界観・設定をつくって、その後プロットをつくる、ってのもやってるし」
「この前のウェブコンクールのときのことですね。部活の各々が企画書、設定、プロットの順につくってノートに書いて見せ合って。それでみんなでひとりひとりの作品の企画などについて議論してから執筆に入りましたね」
「企画書の段階から何回もプレゼンやったな」
「大変でしたよぉ」
「まあ、そういうわけで、部活の内容も充実しているし、この〈方法論〉や〈実践〉を、投げ出さないように全員やる、っていう決まりがあったわけだよ」
「なるほど」
「だが、な。おれは思うんだ。ポリシーみたいなのが、おれのなかにあって、その考えは、部活の面々で共有したいと考えてる」
「へぇ。どんなポリシーですか?」
「創作を〈楽しむこと〉。〈楽しむこと、それ自体の喜びを大切にする〉こと、だな」
「んん? ちょっと難しいぞ、意味が僕にはわからないや」
「まあ、言い回しが悪いかもしれないな。いや、それはこういうことだ。誰にとっても、しあわせっていうのは良いことを楽しむこと〈自体に〉秘められているんじゃないか、ということなんだ」
「良いことを楽しむこと自体?」
「そうだ。創作をしていて、楽しむことそれ自体を大切にすればいいのに、ひとは自分と他人を比べてしまう。確かにひとと比べて競争心がモチベーションにもなるのだが、それは〈創作の楽しさ・つくることのしあわせ、とは違う〉と思うんだよ」
「と、いうと? どういうことですか?」
「他人が自分より優れていると〈思う〉と妬みや悪意に変わることがあるだろ。逆に自分が他人より優れていると〈思う〉と、それも妬みや悪意の反転した状態なんだ」
「妬みや悪意の反転した状態?」
「そう。他愛のないものならいいが、度の過ぎた優越感もまた、妬みや悪意の〈産物〉でしかない」
「部長。それは本当にそうなのでしょうか?」
「他人と比べても、〈創作の楽しみそれ自体〉は〈増えない〉んだよ。他人と比べて〈楽しみ〉が〈増えた〉と思った場合、それは創作の楽しみ自体ではなく、〈他人と比べた結果〉を喜んだり妬んだりしているわけだ。それは創作の楽しみそれ〈自体〉ではないのさ。他人と比べた時に増えるのは他人と比べた時の〈負をベースにした感情〉だ」
「つまり、楽しみそれ〈自体〉ではなく、〈違う要因〉が紛れ込んできてしまっている、と」
「そうだ。〈違う要因〉が混じると、それは〈楽しみ自体〉ではなくなってしまうんだ。そこに創作することの〈しあわせ〉は〈ない〉。その混じった不純物は、他人を妬んだり、逆に他人を見下したり、ということを生む。他人の不幸を願ったり、他人の不幸を喜んだり、といった事柄に〈すり替わってしまう〉んだ。〈楽しみそれ自体〉から遠ざかったそれは、本来の〈創作を楽しむ喜びと全く違う〉から、そこに〈他人というファクター〉を入れないで、あくまでも楽しむこと〈それ自体の喜び〉を大切にしていこう、とおれは思っているわけさ」
「うーん。で、それを大切にするとメリットがあるんですか?」
「創作の楽しみそれ自体が喜びで、創作をするしあわせってことだから、大仰に言うと、〈創作の喜び・しあわせ〉は〈そのひと自身のしあわせ〉に繋がる。ひとの不幸を願ったり他人の不幸を喜んだりすることは〈本当の喜びではない〉。妬みや悪意に心が囚われているだけさ」
「わかったような、わからないような。……でも、それが部長のポリシーで、共有したいこと、なんですね」
「ポリシーっていうと、言葉として違う気がするんだが、他になんて言えばいいのか、おれ自身にもちょっとわからない。だが、おれはそう願っているよ。『創作それ自体を楽しめ!』って、な」
「……創作それ自体を楽しめ、…………か。シンプルだけど、奥が深い言葉なんですね」
「奥が深いかはわからないが、シンプルだとは、思うよ。創作をしてハッピーになれれば、それに越したことはないさ」
「創作してハッピーになる、かぁ。いいですね。しかもそれは、他人とは関係がなくハッピーになれるっていう」
「ふぅ。喋ったら疲れた。珈琲を飲もう」
〈了〉