第70話 笑止教師協会
文字数 1,796文字
屋上でフェンスの網を手で握るようにしながら、斎藤めあは海の方を眺めていた。
おれがめずらしく購買のおばちゃんから買った惣菜パンをいくつか詰めた袋を持って近づくと、めあは振り向かないで、おれに言う。
「愛国主義とは、功名心をもつ人のたいまつに差し出された燃えやすいゴミである。……アンブローズ・ビアス」
アンブローズ・ビアスと言えばあのブラックユーモアの塊である『悪魔の辞典』の作者である。
そして、芥川龍之介が絶賛した短編の名手であったが、行方不明になってしまい、その後のビアスを知る者はひとりもいない。
幽霊や亡霊に関する一連の短編群も残しており、あながちそれは間違いではなく、辞典に書かれている諧謔をしゃべるメフィストフェレスのような悪魔にでも唆されていたのではないか、とおれは思っている。悪魔のブラックユーモアの代償に、魂を身体ごと連れていかれてしまったのではないか、と。
めあがスカートを翻しくるりと半回転して、こちらに向き直る。
「ねぇ、萌木。小説を書く人間には、どこか〈欠落〉があるよね。その欠落を埋めるために、小説を書く欲望が生まれる。萌木は自分の欠落と、ちゃんと向き合ってる?」
「おれにも大きな〈穴が開いている〉よ。どれだけ書けば埋まるのか、わからないくらいの〈穴〉が。その穴を、ひとは〈欠落〉って言うんだろうな。それで、めあ。おれの欠落と愛国心がどうしたって言うんだ?」
「わたしはこの学校、愛してるわ。でも、文芸部はいらないわ。もう、文芸部を眠らせよ? 欠落は、……わ、わ、わたしが、その、……埋めるから」
「ん? 欠落をめあが埋める? 小説は自分で書かなくちゃ、欲求は満たされないぞ。それに、本当の意味で満たされることは、一生執筆してても、ないだろうな。それともうひとつ。…………文芸部は眠らせない!」
「萌木だって、〈笑止教師協会 〉のことは知ってるでしょ。所属してる教師たちは、文芸部を潰そうとしている。わたしなら、生徒会長の権限で、文芸部をきれいなかたちのまま、眠らせてあげられるわ」
「文芸部は眠らせない。おれが。〈笑止教師協会〉とも、話し合おうじゃないか」
「〈笑止教師協会〉会員教師の『たまご』である〈県下怨霊八貴族〉だって、それは許さないわ。あの高校生にして武闘派教師候補生である〈県下怨霊〉の〈襲 〉たちよ。協会の命令でなにか仕掛けてくるかも。……それじゃ、萌木、死んじゃうかもしんないよ? わ、わたしだったら! わたしだったら助けてあげられる……かも、しれないから、だから…………」
「おれなら死なないよ」
「そっか……」
「学校愛に満ちた、〈あの連中〉と対峙するのは勇気がいることだが、おれは屈さない」
「ごめん。お昼ご飯早く食べないとね」
「ああ。食べよう。一緒に」
「…………うん!」
ピクニックシートを広げて食事を取りながら、めあは、
「わたしも文芸部存続に反対なの、忘れないでね」
と、言う。
わかっているとも、それくらいは。
二人だけの屋上で食事を済ませたあたりで、杜若水姫 が屋上にやってきた。
「あー! もう食べちゃったの、お昼!」
「あ、すまん、水姫。大事な話をしてたから、余裕を持つことができなかった。焦って目の前にあるお昼を済ませてしまった」
おれが正直にそう言うと、
「焦るほど大事な話? …………にゃっ!」
驚いたように飛び跳ねる水姫。
「で? で? 結果はどうなったの、めあ?」
「水姫が思ってるような話じゃないんだからねー!」
「えー? あたしが思ってるような話って、どういう話を言うのかなぁー?」
水姫の胸のあたりをぽかぽかと握った両手で叩くめあ。
おれも、さっきめあが眺めていた、遠くに見える海の方を見た。
水平線がゆらいで見える。
「〈笑止教師協会〉に〈県下怨霊八貴族〉か。やっかいな相手を敵に回してるようだな」
揺らいでいる海と空の境界を眺めながら、おれは紙パックの珈琲牛乳をストローで飲み干す。
戦いの準備、必要かもな。もちろん、生徒会とも、だが。
おれは文芸部部長の萌木だ。
文芸部は、眠らせない。
〈了〉
おれがめずらしく購買のおばちゃんから買った惣菜パンをいくつか詰めた袋を持って近づくと、めあは振り向かないで、おれに言う。
「愛国主義とは、功名心をもつ人のたいまつに差し出された燃えやすいゴミである。……アンブローズ・ビアス」
アンブローズ・ビアスと言えばあのブラックユーモアの塊である『悪魔の辞典』の作者である。
そして、芥川龍之介が絶賛した短編の名手であったが、行方不明になってしまい、その後のビアスを知る者はひとりもいない。
幽霊や亡霊に関する一連の短編群も残しており、あながちそれは間違いではなく、辞典に書かれている諧謔をしゃべるメフィストフェレスのような悪魔にでも唆されていたのではないか、とおれは思っている。悪魔のブラックユーモアの代償に、魂を身体ごと連れていかれてしまったのではないか、と。
めあがスカートを翻しくるりと半回転して、こちらに向き直る。
「ねぇ、萌木。小説を書く人間には、どこか〈欠落〉があるよね。その欠落を埋めるために、小説を書く欲望が生まれる。萌木は自分の欠落と、ちゃんと向き合ってる?」
「おれにも大きな〈穴が開いている〉よ。どれだけ書けば埋まるのか、わからないくらいの〈穴〉が。その穴を、ひとは〈欠落〉って言うんだろうな。それで、めあ。おれの欠落と愛国心がどうしたって言うんだ?」
「わたしはこの学校、愛してるわ。でも、文芸部はいらないわ。もう、文芸部を眠らせよ? 欠落は、……わ、わ、わたしが、その、……埋めるから」
「ん? 欠落をめあが埋める? 小説は自分で書かなくちゃ、欲求は満たされないぞ。それに、本当の意味で満たされることは、一生執筆してても、ないだろうな。それともうひとつ。…………文芸部は眠らせない!」
「萌木だって、〈
「文芸部は眠らせない。おれが。〈笑止教師協会〉とも、話し合おうじゃないか」
「〈笑止教師協会〉会員教師の『たまご』である〈県下怨霊八貴族〉だって、それは許さないわ。あの高校生にして武闘派教師候補生である〈県下怨霊〉の〈
「おれなら死なないよ」
「そっか……」
「学校愛に満ちた、〈あの連中〉と対峙するのは勇気がいることだが、おれは屈さない」
「ごめん。お昼ご飯早く食べないとね」
「ああ。食べよう。一緒に」
「…………うん!」
ピクニックシートを広げて食事を取りながら、めあは、
「わたしも文芸部存続に反対なの、忘れないでね」
と、言う。
わかっているとも、それくらいは。
二人だけの屋上で食事を済ませたあたりで、
「あー! もう食べちゃったの、お昼!」
「あ、すまん、水姫。大事な話をしてたから、余裕を持つことができなかった。焦って目の前にあるお昼を済ませてしまった」
おれが正直にそう言うと、
「焦るほど大事な話? …………にゃっ!」
驚いたように飛び跳ねる水姫。
「で? で? 結果はどうなったの、めあ?」
「水姫が思ってるような話じゃないんだからねー!」
「えー? あたしが思ってるような話って、どういう話を言うのかなぁー?」
水姫の胸のあたりをぽかぽかと握った両手で叩くめあ。
おれも、さっきめあが眺めていた、遠くに見える海の方を見た。
水平線がゆらいで見える。
「〈笑止教師協会〉に〈県下怨霊八貴族〉か。やっかいな相手を敵に回してるようだな」
揺らいでいる海と空の境界を眺めながら、おれは紙パックの珈琲牛乳をストローで飲み干す。
戦いの準備、必要かもな。もちろん、生徒会とも、だが。
おれは文芸部部長の萌木だ。
文芸部は、眠らせない。
〈了〉