第97話 世界は一冊の書物に至るために

文字数 1,249文字

「幸いにも私は完全に死んだ」

「はい? いきなりなにを言っているんです、部長」

「世界は一冊の書物に至るために作られている」

「だからどうしたんですって、部長。その『身体は剣で出来ている』みたいなの、なんですって、部長?」


 佐々山さんが
「ふふっ」
 と、含み笑いをした。
「マラルメね」

「えーっと、ステファヌ・マラルメ?」

「そうよ、知ってるじゃないの、山田くん」

「『半獣神の午後』なら、読んだよ!」

「ポエマーだものねぇ、山田くんは」

「う、うぅ……。僕はポエマーですよーだ」

「おっと、詩人サマにポエマーだなんて言っちゃ悪いかしら」

「いや、いいんだよ、佐々山さん。あの世界には詩人年鑑とかあって、排他的な世界なんだ。それに、自費出版の世界だからね……。僕とはちょっと違う」


「で。部長はおそらく小説が書けない状態なのね」

「それがどーしたって言うのさ、佐々山さん?」


「世の中には〈小説が書けないことを書く小説〉っていう一群の作品が、存在する」

「むぅ。極悪な小説だなぁ」

「メタレベルのことをオブジェクトレベルに引っ張り込む。私小説とはまた違ってね」

「えーと、メタフィクションはツラい、って前に話さなかったっけ?」

「そう。だから悩んでいるのよ。マラルメが得意とした、書けないことに関して書く、という行為を行うかどうかを!」



「うー、なんていうか…………めんどくさいひとだよね、それ」

「だからマラルメの引用をしながら悩んでいるフリをしているのよ、萌木部長は、ね!」




 部長は机に突っ伏して、
「しばし眠る。三十分経ったら起こしてくれ……ぐはっ!」
 と言って、本当に眠ってしまった。



「眠るの、のび太くん並に早かったぞ、部長……。大丈夫かな?」



「放っておきましょう。珈琲でもいかがかしら?」


「そうだね。珈琲でも飲もう」

「ここで午後ティー飲まないあたりが、詰めが甘いわね、山田くん。半獣神の午後だけに、って言って、午後ティー飲むべきだったわね」

「僕は芸人じゃありません!」

「はいはい、そうですかー」

「ギャグにしてどーすんのさ」

「そういえば、茶化すのが悪という風潮があるわねぇ、最近は」

「そうだね。真面目になりすぎるのも、息苦しいんだけどなぁ」

「じゃあ、芸人に」

「なりません!」

「シュガーはいくつ入れる?」

「ダイエットシュガーで頼むよ」

「在庫切れね。どうせだから、購買部に買いにいきましょうか」

「そうだね。一年生コンビが来る前に、買って来ようか」

「素直でよろしい」

「メタポエム……か。逆に厨二っぽいよね」

「使いやすいから使い古されてしまっているのよね。一度は通る道としては、厨二ってのは当たっているかも」

 くすくす笑う佐々山さんは、でも、本当はそのとき、笑っていなかったのかもしれなかった。僕には判断がつきかねたけれども。





〈了〉
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