第118話 アブジェクシオン【第四話】
文字数 1,116文字
「去勢前の自我が確立してない主体が、最初に克服しなきゃならない〈母〉を〈おぞましいもの〉として棄却 する、か。父の登場で去勢されるわけだが、母を〈おぞましいもの〉と捉えるんだな……」
月天は、ため息を吐く。
そういえばおれは、目の前のこの不良高校生の家族の話を、一度たりとも聞いたことはない。
月天は、なにか思うところがあるのかもしれない。
だが、おれは話を続けた。
「そう、その〈アブジェクト〉を、棄却する。それをアブジェクシオンと呼ぶんだよな。アブジェクシオンによって棄却されるものっていうのは、『おぞましくも魅惑的なもの』だとされるんだな。〈両義性〉を持つもの、ってことだ」
「ふぅん。どんなものだ」
「腐敗物や汚染物、ぬめねめした死体や、経血なんかだ」
「ああ。ミステリ小説には欠かせないものだな。女子は意外と好むから、どうしてだろうなぁ、とは思ってたがよ、〈両義的〉なものなんだな。嫌いでも好きでもなく、その両方、なんだな。いや、嫌だけど惹かれるって奴か」
「これらは自分と他人の境界を侵犯し、自己のアイデンティティを脅かすもの、なんだな」
「ああ。R.D.レインの『引き裂かれた自己』の引き裂かれていくそのときも、自他の境界が侵犯されることで引き起こされるんだったな。前に青島が言ってたのを思い出したぜ」
そんな話、したかどうかおれは思いだせなかったが、おそらくはしたんだろう。
おれはさらに話を続ける。
「そう。両義性。もう一度おさらいすることになるが、両義的な言葉とはなにか。それは鏡像段階を経て成立する〈言葉を話す以前〉の状態、または精神病や境界例の患者が語る言葉なんかだ」
「これから、それを見て行くんだな。ソシュール言語学から〈排除された〉、その〈外部〉である、アブジェクシオンのことを」
「そう。この両義的な情動作用の発生源こそが、〈母性の潜勢力〉だ、とクリステヴァは言う」
「ここで〈母性〉が出てくるんだな。そして母性は潜勢力を持つ、と。その母性の潜勢力を探ることが、クリステヴァが考える〈文学〉の方向性を知ることの理解に繋がる、ってわけだな」
「意識的、かつ実験的に既成の言語活動を乗り越える〈文学〉の言語活動もまた、〈詩的言語〉と呼んでいて、それもまた〈外部〉だ、として、その言語構造の異質な〈外部〉に通じる〈回路〉をクリステヴァは見いだした。この〈回路〉こそが、〈意味生成性〉だってことは前に言った通りなんだが、それをちょっと詳しく見ていこう」
「おうよ!」
「本来ならば棄却されてしまうその〈外部への回路〉を見る。なんとも罪深い話ではあるよな。だが、文学をつくるってのは、そういうことなのかもしれないぜ?」
〈119話へ、続く〉
月天は、ため息を吐く。
そういえばおれは、目の前のこの不良高校生の家族の話を、一度たりとも聞いたことはない。
月天は、なにか思うところがあるのかもしれない。
だが、おれは話を続けた。
「そう、その〈アブジェクト〉を、棄却する。それをアブジェクシオンと呼ぶんだよな。アブジェクシオンによって棄却されるものっていうのは、『おぞましくも魅惑的なもの』だとされるんだな。〈両義性〉を持つもの、ってことだ」
「ふぅん。どんなものだ」
「腐敗物や汚染物、ぬめねめした死体や、経血なんかだ」
「ああ。ミステリ小説には欠かせないものだな。女子は意外と好むから、どうしてだろうなぁ、とは思ってたがよ、〈両義的〉なものなんだな。嫌いでも好きでもなく、その両方、なんだな。いや、嫌だけど惹かれるって奴か」
「これらは自分と他人の境界を侵犯し、自己のアイデンティティを脅かすもの、なんだな」
「ああ。R.D.レインの『引き裂かれた自己』の引き裂かれていくそのときも、自他の境界が侵犯されることで引き起こされるんだったな。前に青島が言ってたのを思い出したぜ」
そんな話、したかどうかおれは思いだせなかったが、おそらくはしたんだろう。
おれはさらに話を続ける。
「そう。両義性。もう一度おさらいすることになるが、両義的な言葉とはなにか。それは鏡像段階を経て成立する〈言葉を話す以前〉の状態、または精神病や境界例の患者が語る言葉なんかだ」
「これから、それを見て行くんだな。ソシュール言語学から〈排除された〉、その〈外部〉である、アブジェクシオンのことを」
「そう。この両義的な情動作用の発生源こそが、〈母性の潜勢力〉だ、とクリステヴァは言う」
「ここで〈母性〉が出てくるんだな。そして母性は潜勢力を持つ、と。その母性の潜勢力を探ることが、クリステヴァが考える〈文学〉の方向性を知ることの理解に繋がる、ってわけだな」
「意識的、かつ実験的に既成の言語活動を乗り越える〈文学〉の言語活動もまた、〈詩的言語〉と呼んでいて、それもまた〈外部〉だ、として、その言語構造の異質な〈外部〉に通じる〈回路〉をクリステヴァは見いだした。この〈回路〉こそが、〈意味生成性〉だってことは前に言った通りなんだが、それをちょっと詳しく見ていこう」
「おうよ!」
「本来ならば棄却されてしまうその〈外部への回路〉を見る。なんとも罪深い話ではあるよな。だが、文学をつくるってのは、そういうことなのかもしれないぜ?」
〈119話へ、続く〉