第126話 ぶんぶんがくがく:5(上)

文字数 1,172文字

 僕が背もたれに思い切り体重を預けるように、部室の自分の椅子に座る。
 そのパイプ椅子はギシリと、軋むような音を響かせた。
「あー。もうダメだー」
「どうした、山田。いつも通りの暗い顔をして。おまえは、自分はもうダメと言いつつ、ダメにならないな。そういうのは人間を辞める時にでも言え」
 と、部長。
 そこに佐々山さんが、
「ダメな自分って概念に酔っているだけよ。山田くんは、部長と違う意味でナルシストだもん」
 と、追い討ちをかける。
「酷いいわれようだなぁ」
 僕は椅子の背もたれを軋ませながら、あきれる。
「萌木部長。僕はどんな風に生きて、どんな小説を書けばいいですか」
 質問なんてものもしてみる。
 内容はいつもと変わらない。
 でも、いつもと部長の反応が違った。

 萌木部長はひとこと、
「創造的に生きろ」
 と、言った。
「どういうことですかぁ」
 やる気なく、僕は夏休みの部室の中でぶーたれる。

「ニーチェの『ツァラトゥストラ』が何故今も現代に生きる者のこころををえぐるのか。そこをまず述べよう。現代に生きる者にとっては、価値あると思える理想や夢が誰からも与えられていないんだ。〈科学技術の進歩がひとびとがしあわせになる〉という『進歩主義』も、〈市場経済をストップさせ計画経済にする〉という『社会主義』も有効ではなくなってきているポストモダンの世界を生きている。昔はみんなが信じていた考えが無効化し、どこへ向かえば良いのか価値ある生き方がわからなくなった。それが現代という時代で、その〈現代の課題〉に答えを出そうとするからニーチェの『ツァラトゥストラ』は、現代人のこころをえぐるんだ」

 部長はそう言って、湯飲みで緑茶を飲む。

「そして、それに対するニーチェの回答はこうだ。〈固定的な信念や価値はいらない。自分自身が『価値』を『クリエイト』しろ〉と」

 部長は言い終えて、湯飲みを自分の机に置く。
 僕がまだきょとんと目を丸くして惚けていると、部長はため息をつく。

「ここんとこ、文学の実践からズレたことばかり喋っていたような気がするよ。たまには、〈書き方〉の、おれなりの方法論を述べようか」

「方法論……ですか」

「そうだぞ、山田。おれももう三年生だ。卒業したらここからいなくなる。だから、ここらへんでおれが小説を書くときの方法論を教えようと思う。使いこなせるかどうかは山田次第だが、な」

 そこに佐々山さんが、
「あらあら、お稚児さんにイケナイことを教える偉い人みたいね、萌木部長」
 と、からかう。
 それを無視して、部長は言う。
「〈現代小説〉は〈現代美術〉と親和性が高い。ならば、コンテンポラリーアートからブンガクへと、方法論を照射出来る。そういう前提で話すぞ」

 部長は至って真面目だ。
 僕は無言で頷く。

 今回は、現代美術と現代文学の橋渡しってこと……なのかな。



〈127話へ続く〉
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