第64話 トポロジー
文字数 1,882文字
昼休みの屋上。
空は晴天だ。
青く、碧く、蒼い。
おれが屋上のドアノブを回して外に出ると、その空一面に広がる青さに打たれる。
「萌木ィ! 待ってたよー」
水姫の声がする。
「お弁当、早く食べちゃおうよ」
めあの声も。
めあも水姫も、その姿はここからだと逆光だ。
手をかざして、おれは二人を捕捉する。
教室じゃ絶対に見せないような、めあと水姫の、笑顔。
屋上の真ん中にピクニックシートが敷いてある。
歩いてそこまで行くと、おれはシューズを脱いで、座る。
今日の昼食が始まる。
おれとめあは弁当。水姫は、いつも通りの、購買の焼きそばパン。
「トポス、だな」
おれがそう言うと、水姫が食いつく。
「文芸部部長の座も板についてきたねー、萌木。トポスって、数学の、アレかな?」
「いや、違う。小説、文学の場合、別な扱い方がされる」
まあ、どうせだし、独りごちるように、説明をしよう、とおれは思った。
「元々はギリシャ語で場所を意味する言葉が、『トポス』なんだ。 日本で小説を論じる文脈でトポスという言葉が使われたときは、『歴史や神話が内包されていて、特別な意味を持って、その物語を発生させる〈特別な場所〉』という意味になる。〈その作者にとって、それ以外とは全く異なる『磁場』が働いている最重要な場所〉だ。それが、トポス」
めあが、うーん、と目頭を親指と人差し指で押さえながら、唸った。
「でもね、文芸部は廃部にしたい」
「なんでなんだ、めあ。いつもはぐらかしているけど、事情を詳しく聞きたい。廃部にする理由を消して、おれは文芸部を続けるぞ」
ピクニック用のシートに座り、タコさんウィンナーをもぐもぐしながら、めあは、
「この学校に、もう小説家は、いらないもん」
と、拗ねたような口調でおれに述べる。
タコさんウィンナーを咀嚼しためあが、ウィンナーを食べていたフォークでおれを指さす。
「嫌なのよ、萌木が一人で奮闘しているのを見るのが。みんなプロになっちゃって、おいてきぼりの萌木が後輩を育ててくすぶっているなんて、そんなのわたし、見たくない!」
めあがそう言うと、水姫は、
「ヒューヒュー」
と、口笛を鳴らす。
「はううぅぅ。そんな意味じゃないからねーッ!」
「そんな意味って、どんな意味だ、めあ?」
「知らない!」
そっぽを向く斎藤めあ。
これでも生徒会長なのである。
残念な奴だ。
いきなり明るい顔に戻るめあは、頬が真っ赤で。
おれは少し見とれてしまう。
咳払いをひとつして。
ぽん、と自分の手を握った拳で叩くめあ。
なにかひらめいたかのような笑顔。
「そう! そうだったわ! ブンガクをやるなんて、不良の行いよ!」
「戦前あたりの若者分析だぞ、ブンガクやるひとはみんな不良、って認識は。大丈夫か、おばあちゃん?」
「うきー! 萌木はそんなこと言うから大嫌い! 萌木のお弁当箱のだし巻き卵、もらっちゃうんだからっ!」
箸でおれの弁当箱からだし巻き卵を取って食べるめあ。
「ところで、めあ」
もぐもぐさせ、飲み込んでから。
「な、な、な、なによ! 文句ある?」
めあはちょっと焦り気味になる。
「屋上の鍵。この前、水姫が持っていたけど、あれは生徒会室に置いてある鍵だよな。今日も、その鍵でここを開けて屋上に出たのか?」
「し、し、知らないわよ……!」
目が泳ぐ斎藤めあ。
そこに水姫が割り込む。
「あたしの親友を泣かせたらしょーちしないぞー、萌木ィ!」
「あー、もうわかったよ。不問にするから。黙っててやるから。どうせおれも共犯者だからな、こうなると、すでに」
「はううぅぅ…………」
涙ぐむめあ。
仕方ないので、めあのお弁当箱に、もうひとつ、だし巻き卵を乗せた。
「はむはむ……。お、おいしい…………。うえーん」
おれがあげた、だし巻き卵をさっそく食べてから、泣き出すめあ。
よくわからない。
水姫は、言う。
「しあわせで泣くこともあるよ、萌木」
「んん? どういうことだ、水姫?」
杜若水姫が、満面の笑みになる。
「トポス、なんでしょ? トポロジーってやつが作用して泣いてるんじゃないかにゃぁ?」
トポロジーとは、『位相』のことだ。
なるほどな、とおれは首肯し、それから仰向けに寝転んだ。
晴天の青空。
これでいいのかもしれない、と何度も、おれは自分に言い聞かせる。
〈了〉
空は晴天だ。
青く、碧く、蒼い。
おれが屋上のドアノブを回して外に出ると、その空一面に広がる青さに打たれる。
「萌木ィ! 待ってたよー」
水姫の声がする。
「お弁当、早く食べちゃおうよ」
めあの声も。
めあも水姫も、その姿はここからだと逆光だ。
手をかざして、おれは二人を捕捉する。
教室じゃ絶対に見せないような、めあと水姫の、笑顔。
屋上の真ん中にピクニックシートが敷いてある。
歩いてそこまで行くと、おれはシューズを脱いで、座る。
今日の昼食が始まる。
おれとめあは弁当。水姫は、いつも通りの、購買の焼きそばパン。
「トポス、だな」
おれがそう言うと、水姫が食いつく。
「文芸部部長の座も板についてきたねー、萌木。トポスって、数学の、アレかな?」
「いや、違う。小説、文学の場合、別な扱い方がされる」
まあ、どうせだし、独りごちるように、説明をしよう、とおれは思った。
「元々はギリシャ語で場所を意味する言葉が、『トポス』なんだ。 日本で小説を論じる文脈でトポスという言葉が使われたときは、『歴史や神話が内包されていて、特別な意味を持って、その物語を発生させる〈特別な場所〉』という意味になる。〈その作者にとって、それ以外とは全く異なる『磁場』が働いている最重要な場所〉だ。それが、トポス」
めあが、うーん、と目頭を親指と人差し指で押さえながら、唸った。
「でもね、文芸部は廃部にしたい」
「なんでなんだ、めあ。いつもはぐらかしているけど、事情を詳しく聞きたい。廃部にする理由を消して、おれは文芸部を続けるぞ」
ピクニック用のシートに座り、タコさんウィンナーをもぐもぐしながら、めあは、
「この学校に、もう小説家は、いらないもん」
と、拗ねたような口調でおれに述べる。
タコさんウィンナーを咀嚼しためあが、ウィンナーを食べていたフォークでおれを指さす。
「嫌なのよ、萌木が一人で奮闘しているのを見るのが。みんなプロになっちゃって、おいてきぼりの萌木が後輩を育ててくすぶっているなんて、そんなのわたし、見たくない!」
めあがそう言うと、水姫は、
「ヒューヒュー」
と、口笛を鳴らす。
「はううぅぅ。そんな意味じゃないからねーッ!」
「そんな意味って、どんな意味だ、めあ?」
「知らない!」
そっぽを向く斎藤めあ。
これでも生徒会長なのである。
残念な奴だ。
いきなり明るい顔に戻るめあは、頬が真っ赤で。
おれは少し見とれてしまう。
咳払いをひとつして。
ぽん、と自分の手を握った拳で叩くめあ。
なにかひらめいたかのような笑顔。
「そう! そうだったわ! ブンガクをやるなんて、不良の行いよ!」
「戦前あたりの若者分析だぞ、ブンガクやるひとはみんな不良、って認識は。大丈夫か、おばあちゃん?」
「うきー! 萌木はそんなこと言うから大嫌い! 萌木のお弁当箱のだし巻き卵、もらっちゃうんだからっ!」
箸でおれの弁当箱からだし巻き卵を取って食べるめあ。
「ところで、めあ」
もぐもぐさせ、飲み込んでから。
「な、な、な、なによ! 文句ある?」
めあはちょっと焦り気味になる。
「屋上の鍵。この前、水姫が持っていたけど、あれは生徒会室に置いてある鍵だよな。今日も、その鍵でここを開けて屋上に出たのか?」
「し、し、知らないわよ……!」
目が泳ぐ斎藤めあ。
そこに水姫が割り込む。
「あたしの親友を泣かせたらしょーちしないぞー、萌木ィ!」
「あー、もうわかったよ。不問にするから。黙っててやるから。どうせおれも共犯者だからな、こうなると、すでに」
「はううぅぅ…………」
涙ぐむめあ。
仕方ないので、めあのお弁当箱に、もうひとつ、だし巻き卵を乗せた。
「はむはむ……。お、おいしい…………。うえーん」
おれがあげた、だし巻き卵をさっそく食べてから、泣き出すめあ。
よくわからない。
水姫は、言う。
「しあわせで泣くこともあるよ、萌木」
「んん? どういうことだ、水姫?」
杜若水姫が、満面の笑みになる。
「トポス、なんでしょ? トポロジーってやつが作用して泣いてるんじゃないかにゃぁ?」
トポロジーとは、『位相』のことだ。
なるほどな、とおれは首肯し、それから仰向けに寝転んだ。
晴天の青空。
これでいいのかもしれない、と何度も、おれは自分に言い聞かせる。
〈了〉