第93話 父と猪(1)

文字数 1,096文字

 西南の窓を開けると山並みの遥か向こうに故郷の山が墨絵のように見える。
黒く、薄く、天低いこの季節には雲の中に見える。日に何度、かの山を眺めることだろう。
歳を重ねるごとに故郷が無性にこいしい。
「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川、夢は今もめぐりて、忘れがたき故郷」
口ずさむこと、幾たびか。
 ふるさとは過疎化が進み奥野々という集落には住む人がいなくなった。田畑は
原野に戻り、そこは野生動物の住処に戻った。人間が分捕り山奥へ追いやっていたのだから、
動物たちは、元に復したことになるのだろう。野生動物と人間の共存共栄は出来ない相談だ。
取り壊されないままの家には、狸の親子が我が物顔に寝起きしている。
草の中に忘れ去られたように立つ墓標に時の流れを感じて立ちすくむ。まさに諸行無常である。
山の尾根には、時代を象徴するように風車が並んだ。
プロペラが回っている時は、大きな嫌な音を立てる。その音を嫌って、山を下り谷を越え、
向かいの山へ移動した動物たちも少なくないという。早い話が、私の生まれた家の裏山には
猪もハクビシンも陣取っている。動物たちは掛け算式に繁殖していったのだ。
 猪猟が11月15日に解禁になった。
村民の被害を勘案してから猪一頭について00の懸賞金が出たと聞いた。
 ふるさとに今も猟友会が存在しているのか。猟師の人数がいかほどかは知らないが、
竹藪の中に「チヤンチユウ」という罠を仕掛けてあるのを見た。
「この下に罠があるから絶対に近寄らないように」立て札があった。
 ふるさとに限らず日本は、この星は良くも悪しくも進化し続けている。

 数日間を費やしても、1頭の猪も撃てなかった父が今生きていたら、何と言うだろうか?
小松島に猪が出没して話題になった。話題の猪の肉を故郷で馳走になった。
固くて臭いもあり、お上手にも美味しいとはいえなかった。

 猪の肉の味覚は80年の時空を越え父が色褪せて蘇った。
草ふかい寒村のお陰でB29に狙われることはなかったが、貧しく麦と芋が常食で
村人の殆どが栄養失調であっただろうと思われる。
 父の部屋には鉄砲掛けがあり、鉄砲が2丁掛けてあった。弾は皮の玉入れに入れ
庭の奥に隠すようにして置いてあった。猟友会は楽隠居の集いのように感じていたから、
会員の中では父は一番若かったのだろうと察した。
 父は余り勤勉でなかったのか田植えが終わると川で鮎を追いかけていた。
田植えは広くもない田圃に十人も並べて賑々しかった。その中に栗山会長(猟友会)の
別嬪の娘さんと、息子の嫁さんがいつも混じっていて、私は可愛がられた。
会長は好好爺だったが一旦、猪狩りになると、厳しかったと人伝に聞いたことがある。









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