第55話 生きる

文字数 1,285文字

 恵ちゃん。風のたよりで息子さんが弱くてご苦労なさっているということ、
薄々存じておりました。
「はるかに飛び去った銀翼の下、大学の卯月の庭に源平うずきが咲いていた」……
私の視界が世界をとり戻した瞬間でもあります。と故郷花物語に寄せられたあなたの
寄稿の一節を拝読し胸の震えがしばらく止まりませんでした。さらに続いて
「弘一の旅路」を息をつかずに読ませていただきました。

 今にして思えば、あなたの家と私の生まれた家は距離にして500メートルあるなしの
お隣でした。しかし隣組が西と東に分かれていましたネ。立派なご両親に育てられ、高い
教養をつけられて日の当たる場所ばかりてお暮らしと承知しておりましたのに、文面にご
苦労と生き様が偲ばれました。秀才のあなたは弟と同級生でもあり、村政ではお父上と兄
が共に活躍した時期もあり、私たちは、近くて遠い存在だったようですね。
 春の博美展はいつも弟と一緒にあなたの素晴らしい絵に会い感動しています。また過日
は相撲展にわざわざお運びいただきありがとうございました。
「あら恵ちゃんか」と天国があるなら父は喜んでいたことでしょう。
頂いたお手紙にあったような裕福でもなく人に羨ましがられるような過去を私は持って
いません。隣の芝生は青く見えるのでしょうね。ご存知のように目の不自由な次兄があり、
ある時期は母代わりや姉のつもりで接していましたが夭折しました。神様のような兄でした。

 脊髄から髄液を抜き、脳圧を下げることとなった件で、思い出すこともなかった五十数年
昔のことが蘇りました。私の責任で、次男も産後6日目に髄液を抜いたことがあったのです。
 あなたの浩一くんに寄り添い生きてこられた日々がつぶさに胸に迫ります。
「お母さんといっしょに死んでしまおう」と頭から水をぶっかけた。
「何もできんのに生きていてもしようがないでしょう」
「ううん。生きとったら楽しいこともあるもん。遊べるもん」
 ずぶ濡れになった浩一くんを見て母の悲しみはすぐ後悔に変わった。生きていてもくれる
だけで感謝しなくては。とある。揺れ動く母の苦しみと愛が伝わって来ます。私もその昔、
線路の上の故障したトラックの中で「ここに列車が来たら無理心中だ」と待った一瞬があ
りました。思い出すと心が凍ります。何も知らずに車中ではしゃぐ子供に心で詫びましだ。
 そして「生きていてくれるだけで有難い」何歳になっても親は親、子は子。親子の縁に
感謝しています。あなたも同じだったのかと感動しながら頷いています。

 この「浩一の旅路」は起承転結も素晴らしいし、余波急もあり目を見張りました。
物語の哀楽に押されて感動と追憶のひとときでした。

 最後に「城東、城南高校の先生、生徒の皆様に謝罪、深罪します」の文言にあなたの
人情豊かな人間性が溢れています。同郷の同志として、年上というだけの先輩として、心
豊かな後輩に惜しみない拍手を送ります。私はベンクラブの会員ではありませんが、会報
はいつも拝見しています。ますますのご健筆を期待して止みません。
                                    ちえこ












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