第74話 或る朝

文字数 1,160文字

 梅雨晴れの、或る朝、急に思い立って会社の倉庫まで
往復5キロの道を歩く事ことにした。
靴を吟味し、万歩計をぶらさげ勇躍、出発。
 ちょっとした繁みがあれば、右からも左からも囀りが聞こえて来る。
小鳥に先導される格好で、囀りを縫うように、町並みを土手へ向かって歩を進める。
 住民はみんな花が好きなのか、庭の隅やプランターに、紫陽花が植えられ、今を
盛りと咲き誇っていた。色彩も大きさもさまざまだ。改良されたのだろう額の花の
多様さに驚く。まさに七変化の別名の通り、見事に変化している。
立ち止まってしばらく見惚れた。  
 
 歩く事2000歩ほどで堤防に出た。欲しいままに朝の大気を吸いながら、川に
添って土手を登る。今まで気付かなかったが、川には所々に小さな出島がある。
台風の出水で土が集まり、歳月を経て小さな岬のように、川の中に突き出したのだろう。
 
 この小さな岬で鴉の大群を見た。
人通りは全くないし、車も滅多に通らない早朝の土手、思わず後ずさった。だが
人間を攻撃する様子はなさそうだ。
60〜70羽は、いるだろうと数え始めた。30羽まで数えた時、1大隊が飛んできて、
1小隊が翔びたった。飛来した鴉は廃船やその周辺の木に止まった。舟首に止まっている鴉が
何か指示しているように見える。猫好きの友人が
「猫は木の上で会議して、議長は一段と高いところに止まる」と、話していたことを思い出した。
鴉も会議しているのだろうか?

 大地と水の接点は、石垣であったり、テトラポットであり、岬であったりしている。
小さな岬には葦が繁り、風にそよぐ。葦の中に合歓の木が根付き、目覚めた新緑が微風に
揺れていた。葛の群生にも出合ったし、立ち枯れたままの芥し菜もあった。生きとし
生けるもの末路を、垣間見た思いだ。

 露草が四肢を拡げていたが、花はまだ遠く、夏も終わりのころだろう。
「露草のどこがよいの」と友は笑うけど、私は露草の可憐な色、紫紺が無性に好きだ。

気がつくと、法規を無視して左側通行をしていたようだ。歩き始めて40分、青田の中に倉庫の赤い屋根が見える。折り返し点で万歩計は4200を差していた。

 帰りは大手を振って川側の右側通行。河原の鴉の数がうんと減っている。どこへ行ったのだろ。
 車の交通量が増えて、土手は油断のならない道と化した。
街並みの囀りも少なくなり、死角に咲いて見落としていた庭先の花に、凄い拾い物をした気分で
目を細める。
 
 5~6人集まって縦隊を組んでいる登校兒に出合った。1年生のカバンがピカピカだ。
 標準はどうか知らないが、5キロの道を8400歩で、一時間半かけて歩いたことになる。
程よい汗と心地よい空腹感に、ささやかな幸せを感じた梅雨の晴れの間の朝だった。

 こんな元気な時もあったのだ。時も同じ梅雨の晴れ間。
 思い出ばかりが通り過ぎて行く。














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