第90話 小さい秋

文字数 975文字

 あの極暑が嘘のように、澄んだ空にうろこ雲が生まれた。
やれ夏が果てたと思いきや、また温度計は上がる。
気温も温度計によっても呼び方が変わるらしい。夏日、真夏日、
猛暑日、極暑、これは気象用語であるという。
何はともあれ、今年のように気温が乱高下すると、老人や病持ちには、
その高低差についてゆけない。家に籠るより他ないので、外出の代わりに
すぐ窓辺に寄って外を見ている。ベランダの上に雀が一羽降りてきた。
落ち着かぬ様子でチョンチョンしていたがすぐ飛び去った。
この辺りには、小鳥も蝉もいないのだと勝手に思い込んでいたが、
飛んでくると知って、何やら嬉しくなった。空には境がないいんだから
また飛んでくると信じて、夕焼け空を見ていると鴉もトンビも飛んでいた。
いずれもつがいでなく単独飛行だった。
動物の世界にも独身も寡を課せられた鳥たちもいるのだ。

 早くも紅葉便りを聞くようになった。
少しオーバーだけど、今年の夏に勝ったそんな気分である。
さや風がゆっくりと部屋を通り抜けてゆく。
窓辺に置いてあった夏の花たちは外に出した。あとは小鉢の
菊を2つだけ置くつもりだ。居間には引き越してきた小さい
黒竹、子持ち草と00がある。00は頂いた時から名無しである。
すずなりに紅い実をつけている。次々と白い小さい花を咲かせ
紅い実は向こう6ヶ月は楽しめる。食器を動かすたびに食卓の紅い実は
微かに揺れる。今では大事な家族になり、はらからになっている。
勝手に「紅もどき」と命名して楽しんでいる。

 15夜のお月さんも13夜も16夜も見ることが出来た。
上弦の月には満る夢があるが、下弦の月にはなぜか人生が重なる。
「人は皆、この世へ旅に出された旅人であり、客の身なれば
接待の良し悪しは言うまい」
誰であったか? 身にしむ言葉を思い出した。

 秋立つ風に誘われて気がつくと津田山の麓にいた。
転居に伴い、お隣に貰って頂いた椿、酔芙蓉、
ドウダンツツジや縞茅たちは、主が変わっても、極暑を
乗り越えて元気に育っていた。縞茅は立派な穂を出している。
「好きなだけ切って帰り」
お隣のおじさんの声におんぶして数本、いただいた。

 暑い、暑いと言っても自然は移ろってゆく。
散策の径で出合った千草に、心なしか秋の気配を感じた。
風の音に、雲の流れに、茜色の空の下をねぐらへ急ぐか、
鴉の群れにも小さい秋の訪れを感じた。2022/10月


















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