第76話 あの世、この世(1)

文字数 694文字

 幼少といったら幅広いが少なくても1年生の時には、
あの世があると漠然と信じていた。それは祖母のあの世の閻魔大王
の話を、子供なりに受け入れたからだろう。
 あの世には「おっ母がいて天空から見守ってくれている。
あの世とこの世の架け橋はお仏壇である。
 私たち兄弟は、それぞれに仏壇に語りかけていた。早い話しが、
期末にもらう通信簿などは、帰るとすぐ一番に仏壇に供えた。
ある時、気がついてみると兄が同じ事をしているのを見た。
「同病愛憐れむ」の感、一入。
 最初の頃は、父はいなかったが、傷ついて復員してからも、父は
子供の成績には無関心であったのだろうと思う。

 仏壇の母から、褒められているので、満足だっのだろうか?
学期の始めに、捺印した通信簿を提出する時になって、
「印鑑押して」と父に通信簿を出していた記憶がある。
兄たちも良かったから、「当たり前」だっのだろうか?父が褒めて
くれることはなかった。
「おっ母」が褒めてくれたからそれでいいのだ。母の姿は見ない。
母を思い出す姿は臨終だから、現実には声も聞かない。
人のいない仏前に目を閉じて座れば母と会話ができたのだ。

 天上界には神様がいて、その下に仏様がいる。
御供養と言って、この世からの精魂込めた贈り物によって
亡くなった人はあの世で浄化され輝く御仏になるのだ。
信じて、まずお経を唱えた。お経は毎月二十一日にお大師講
があり、遊び友達の母親がお先立を勤めていた関係で、
大人の集まりの講に参加した。この講は部落会も兼ねていた。
門前の小僧と同じ、13仏の御真言も般若心経もいつの間にか
誦じた。
 自分もいつか死ぬ。死んだら「おっ母」にあえる。
子供心に感じた諸行無常。




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