第73話 私の歴史街道

文字数 1,280文字

 やがて30年にもなるだろう。
リタイアを機に 念願の歴史街道を私流に歩いてみようと、2月から
琵琶湖の辺り(長浜)を拠点にして、毎月2泊3日で巡ることにした。
 2月には長浜の盆梅、竹生島。3月には新装なった彦根城、大通寺の馬酔木。
楽市というから楽市楽座だと早合点して訪ねた。これは骨折り損のくたびれもうけ。
 長浜は湖北の拠点。町おこしの今もっとも盛んなところのようだった。
 4月、桜も終わりのころ羽衣伝説発祥の地、余呉湖を訪ねた。
 賤ケ岳の合戦で血に染まったと聞く余呉の湖。 
いつか賤ケ岳から眼下に見た余呉湖に行くには長浜駅から北陸線敦賀行きに乗る。
三ツ目の余呉駅で下車。駅でマップをもらい歩き始めた。西に進むと至近距離に
大樹がそびえている。儚くも美しいロマンを秘めた衣掛けの柳だ。
伝説によると天人は、夫と子供を残して天空へ帰り、その子供が後の右大臣
菅原道真公だという。
また水上勉の小説「湖の琴」の舞台にもなったと聞く。
 周囲7キロの小さい湖は鏡湖とも呼ばれ、波一つ立っていない湖面は、緑の
賤ケ岳を映している。
余呉湖は水面が琵琶湖より50メートルほど高く、余呉川を通って水は
琵琶湖へ注がれているようだ。
 
 柳の下で伝説に思いを巡らせた後、湿っぽい畦道を経て護岸道へ行く。
左右の水田にはすでに水が張ってあった。岸をしばらく進むと浮桟橋があり、
有料の看板が出て釣り人が大勢いた。
湖畔道は所々で行き止まるので、平行に走っている一般道とを併用した。
 
 西岸の蕊になった桜の下を歩く人も、春の名残を惜しむ人もいない
一人の世界だ。歩道橋の辺りでタンポポの群生を見つけた。
湖をぐるりと取り巻いていると言っていいほど、タンポポは
黄色の春を謳歌している。

 新設されたらしい紫陽花のコーナーで、敦賀から来たと言う
母娘連れに初めて出会った。
八朔を剥きながら、しばしの一会を楽しむ。
道程の中ほどに国民宿舎があり、その横から賤ケ岳への登り口があった。

 一時間ほどで登れると聞き登り始めたが、鬱蒼とした杉木立の径は
不気味で怖くなり引き返した。後で聞いた話によるとつい三月に熊が
出たそうである。

 湖の東岸には八重桜が咲き誇っていた。桜の根元にひっそりと咲く
犬ふぐりに目を細める。

 車を止めた家族連れが多くなり、どのグループも決まったように
バーベキューをしている。

 山口誓子の「秋晴れや湖の自噴を想い見る」の句碑の前で、
パンとお茶で軽い昼食を取る。
軽くなったリュックが歩くたびに背中でリズミカルに揺れる。

 尾根に沸き立つ、つわものどもの勝ちどきや、湖面を渡る
天つ乙女の衣ずれの音を空想しながら、三時間後、余呉駅に着く。

 現実に戻るとしばらく歩いていない足が痛い。

 行楽地にありがちなポイ捨ての後もなく「自然を守ろう」の合言葉の
行き届いた湖畔であり、関連の振興課のご苦労がしのばれた。

 (懐かしみながらその昔の殴り書きをまとめてみました)
2022/6/17











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