第36話 昭和のお正月

文字数 928文字

 戦前と戦後数年はお正月は旧暦で寿いだ。
お祭り、ひな祭りとお正月は昭和の子の3大イベントであった。
 
 迎春の用意は師走に入るともう始めていた。木小屋には1年分の焚き木、薪が積み
あげられていた。家の内状は木小屋を見れば分かる。といわれた時代である。

 師走も押し迫るとまず煤払いをする。竹で軒下まで丹念に払う。畳を交換する。
この日のために畳を積み上げて保管しているのだ。畳の青とイグサの匂いが、子供心に
迎春を告げ、あといくつ寝たらと指折り数えたものだ。

 麦や芋を食べるのが普通の暮らしだった。
貧しくて米がないと、こぼしていたが、どうしたことか、毎年1日中、餅つきをした。
あん餅は少しで、粟、きび、よもぎに青海苔などを入れた、いろいろな餅をついた。
ほとんど「もろぶた 」に流し、のし餅にしていた。
 餅つきの日の昼飯は決まったように、蕎麦ごめ汁が出てきた。鶏肉か猪の肉が入っ
ていて、大人たちは「うまい、うまい」とお代わりしたが私はどうも……
  
 大きな門松を立てたら、見慣れたあばらやが引き立って見えた。客間に神棚を設え、
メン松に金、銀の小判や鯛、ときには綿雪を散りばめて飾った。
金屏風(品のほどは分からない)を立て、日の出の御軸をかけたら、迎春の準備は完了した。

 年の瀬、谷川の水は冬枯れか流れが緩い。谷川の辺りの水ぐるまの音は毎年同じ音を醸し
ているのだろうが、悲しいときは悲し気に、私の哀楽に沿って奏でた。ただコットンと、
ときを刻むだけの音なのに。私には変げした水車の音色。青春の頃の水音を思い出している。 

 たくさんもらったお年玉も、ほとんど竹の貯金箱に入れさされた。私の霜焼けの手を案じた
隣のおばさんは、お年玉と一緒に赤い手袋をくれた。おばさんのことを今も時々思い出す。
 恒例の三番叟が来て、客間に綱を張り舞台を作り、手振り足り軽やかに踊った。「ソラ」
という、山の彼方から三番叟は来ているということだった。
 白いご飯(銀飯)を食べるのは正月7日迄で、また麦飯になる。7日正月といって、女の
御神様のご出立の日である。七草粥なんて気の利いた名前ではないが、粥を食した。
 物語ではない。昭和初期生まれの紛れもない在りし日だ。
 この日を境にまた耐貧の日が続いた。

 


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