第34話 いじめ(2)

文字数 1,090文字

 「勉強もできんくせに、悔しかったら教室で勝負だ」
とうとう喧嘩を売ったのか?買ったのか?やってしまった。
「やっぱりゴットイは強いのう」
そのゴットイがもじって、私の渾名は「ドッコイ」になった。
生家には、村に1頭しか認可されない雄牛がいて、父しか手に
おえない名だたる暴れ牛だった。
 
顔を見ると「ドッコイが来たぞ」と怒涛を組んで叫けぶ。
「やっぱりゴットイじゃのー。ドッコイのくせに」良かれ悪しかれ
ドッコイを連呼して嫌がらせ、私の反応に快感を覚えていたのだろう。
 
 今の先生は知らないけど、昔の先生は、
亡夫も含めて、私の知る限り、見て見ぬ振りをしていた。
同級生の女子(少し背が小さかった)はチャンコロと渾名を
つけられて何年も、いじめられていたが、先生の介入はなかった。
知らんぷりしたままだった。それが良いことか、よくないことか。
今も理解できない。

 彼女は心底より哀しかったのだろう。 
同病愛憐れむの念なく、私も彼女に優しい声をかけなかった。
なぜだか。言葉には出し難いが、わかるような気がする。
彼女は同窓会にはついに一度も顔を出さなかった。あの心の傷を
秘めたまま生涯を終えるかと思うと、胸が縛る。

 無視しても、反撥しても、標的と狙われたら最後。
彼らは執拗だったのだ。蛇に狙われた私は蛙か。
   
 ドッコイと異名をとったこの村には残らない。白紙のところで
生きるのだと思っていた、傷ついた乙女の心の奥を誰が知るや。
 今に見ておれ「江戸の仇は長崎で討ってやる」生まれ持って
いるのだろう?。泣かない。可愛気ない、家族にも告げない。
このど根性。自分に自信を持つことで、無視し続けたのだ。
 いじめと対峙するには、真っ向から戦うか、無視するか、それとも
第3者に泣きつくか。選択の余地は多くない。
 亡夫のように上級生に戦いを必死で挑んで傷まみれになったのは、
旧制中学の時代だ。生意気な新入生ということでやられたらしい。
しかし、1度の勝負で決着をつけた。それっきり続編は終生聞いて
いない。そんなこともあるのだ。
いじめやすい子は、普通でなくて、両極端にあるような気がする。
  
 古い話だが、吉村英雄の「いじめの記憶」を読むと
私の経験など、いじめの中に入らないのかもしれない。
 しかし、この時私の、人生の心電図が初めて乱れた時でも
あったと思う。いつの世にもいじめはある。
 私は「いじめ」を許さない。
 
 後日談になるが彼たちは、それぞれ独立して立派な父親になっている。
複水盆には帰らないけど、水は流れて再生を繰り返し、日々新しい。
 今も会うことがあればお互い懐かしがっている。
 あれは悪夢だったのだ。



































     

























たな
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