第60話 自動車よさらば

文字数 675文字

 十一年の間、足になり親しんだ車と今別れた。
小さい旅から帰ってすぐ、業者に連絡をした。手元におけば
おくほど、迷いが生じることを知っていたから。

 去年の花見に左前を凹ませた。前後左右いずれも少々の傷持ち
であった。タイヤは入れ替えてまだ新しい。こゝしばらく車検を
するか、やめるか、思案して手入れをしていなかったのだが、
ありがとうを込めて今日掃除をした。

 最後になるだろうと故郷の友達を誘って小旅行をした。
夜更けまで姦しく、思い出話に花を咲かせた。
アッハッハ、腹の底から笑うと心まで浄化された。
翌日友達を家まで安全に送ってさよならした。
 
帰宅と同時に業者が来て車は引き上げて行った。
7032の車番はすぐ見えなくなったが車体が隠れるまで見送った。
こんな感傷的なことは初めてである。今までは代わりが来ていたから
心は新車に流れてルンルンだったのだろう。

 人生が終わった気がしないでもない。それだけ六十数年の間、車は
生活の中で必需品だったのだ。娘に電話した。

 「さみしいよー」
 「大禍なく車人生を終えてよかったね。おめでとう」
 「ありがとう」いろいろなことが甦える。トラックの積み荷が
重すぎて、ブーレーキの効きが甘く、お腹の子供が膝に乗せるほど下がって
いたら次の日出産。Wブレーキが踏めなかったこと、新生児をトラックの中
で滑り落として、大騒ぎしたこと。オープンカーが欲しくて、日産のラシーン
で間に合わせたこと。いろいろあったが色褪せながら脳裏に深く残っている。
 この昂りで今夜は寝付かれないだろう。
                        2○22/3/24




ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み