第61話 未知との遭遇

文字数 722文字

 五木寛之は今なお未知との遭遇があると書いている。
未知の世界は若者だけの特権ではない。高齢者にもそれなりの
発見や未知との遭遇がある。という事だ。ご指摘の通り、
ペットボトルの蓋が開かない。新聞がめくれない。それだけでない、
店先で未使用のビニールの袋が開けられない。コロナなどいって
いられない。マスクをちょっとずらせて、そっと手に唾をつけて開ける。
なるほど九十年も使い通した手の指紋は凸凹が鮮やかでないのだ。
ツルツルして螺旋は見えず縦横に皺が走っている。

 どんな未知との遭遇があるがつらつら考えてみる。老眼鏡はすでに
放せないものになっているし、そうだ杖に、シルバーカー、補聴器、
入歯、白髪染めに、おしめ、身体介護、最後に片道切符の旅がある。
 今はコロナの流行との遭遇に万人が神経を尖らせている。
そのコロナも近くに来て髑髏を巻いている。その証に、兄の孫が
二人、孫夫婦が一組、姪が一人と私の孫娘が罹患した。やれ恐ろしい。
 生きとし生けるもの皆、意識するしないに関わらず、未知との遭遇の
中に生きているのだ。
 友人、知人は次々と右肩下がりに消えてゆく。新しい巡り合わせも
稀にはあるが総じて加減の差は開くばかりである。

 お隣の庭に初孫の鯉のぼりが上がった。町中ではあまり見かけない
風景である。この遭遇に心和ませている。
 
 故郷では、桃の節句が過ぎると間もなく、家ごとに幟がが上がり、
鯉が泳いでいた。天に五色の吹き流し、その下に黒いお父さん鯉、
続いて紅いお母さん鯉、その下に男の子の数だけ鯉が連なっていた。
 それを見た敬老たちは「00家は威勢じゃなぁ」と話していた。
 
 好天に恵まれ、卯月の空気を腹一杯に吸い込んだ鯉のぼりは、
 今日も迷わずわが道を泳いでいる。








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