第51話 時は流れて

文字数 975文字

 若き日のチクッと心に残る思い出。
心をときめかす青年がいた。青年部の会以外、顔を合わす
ことはなかった。が、一度だけおしゃべりする機会があった。
柿(冨有)が好きなことを話した。
「それなら沢山作っておくわ」だだそれだけの会話。
続きは目でもの言っていた。

 彼は色黒で精悍な感じのする若人だった。私も番茶も出ばな
の頃で、仲人さんが次々きていたようだ。その中に彼の話を持って
きたお世話人がいた。 

 「片親(母)のない子と人様に後指を刺されないように」
祖母は、小憎いほど私の躾が厳しかった。

「名門の家に親の揃わない娘はどうも」その上、片親では嫁入り
道具も満足にできないだろうと危惧したのだ。と知った。彼の意思は
尊重されなかったのだろう。案の定、先方から断ってきた。
 嫁入り道具云々は、長い間、私の胸の中で尾を引いていた。
 
 母が生きていたらと、自分の立ち位置をこの時初めて現実として
受け止めた。よく遊び、よく学び天真爛漫と、いうと手前味噌になるが
決して悪い娘ではなかったと自負している。しかし、世間的には普通では
なかったのだ。
 
 その後、洋裁学校へ行くため下宿して帰った時彼は、釣り合いの取れた
縁組らしく結婚していた。
早春の淡いときめきはシャボン玉のように煌めいて消えた。

 その後10年を経て奇縁で亡夫と結婚した。この時父は脳軟化症で言葉
を失い寝たきりだった。亡夫は「嫁入り道具は要らないから、起業する時
援助してほしい」と申し出た。親族会議にかけられ、皆に反対された。
00でなく5体満足なのに持参金など持たせられない。しかし、兄は了承
して道具に匹敵する以上の額を持たせてくれた。
 これで危惧された嫁入り道具云々の胸のしこりは、水に流したつもり。
 
時は流れて。
彼の長男には父の従兄弟の娘が嫁ぎ、そして生まれた娘は、私のいちばん
親しい叔母の孫息子と結婚した。いずれも恋愛結婚である。
 名門が地に落ちたのか、当方のしがらみが名門に近づいたのか?
否。封建という世が去り新しい時代がきたのだ。

 老いて色褪せた今「親のない子」と言って振られた70年の昔を
思い出し懐かしんでいる。風の便りに彼が旅だったことを知った。
あの柿は育ったのか?もう永遠に聞くことはできない。
 闘い通した亡夫だったけど、夫婦というより亡夫は同志だったのだ。
 これでいいのだ。終わりよければすべへよしだ。




ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み