第95話 父の猪(3)

文字数 675文字

 突然砲音が二発、こだまして山の静寂を破った。
どきり、緊張が走る。音の方角は今日の本丸、園瀬川の源流の奥の林だ。四散した
猟師たちが寄ってくる。
「野本さんとうとうやったなぁ」
「この度は長かったのう」
「全く手こずったのう」猟師たちはくしゃくしゃの顔をして獲物を取り囲んでいる。
若手の父と誰かが棒に四肢を括って担いで帰るのだろうけど、その後、どうなったかは
想像の域を出ない。
 暮れ迫って、父は猪の肉を持って帰ってきたが、肉は意外と少ないようだ。
「昨日まで精勤していたのに、タケやんが今日は休んだから帰りに半分置いてきた」
父はそんな無欲な人だった。
 父に二度目の赤紙がきた。それまでは普通の家庭、月並みの家族と思っていたが、
この時、すでに母は病んでいた。曽祖母と祖母、四人の子供の生活は祖母の双肩に
かかった。祖母は住み込みのおばさんと通いのお婆さんを相手に寝る間も惜しんで
働き通した。が、育てた米のほとんどは供出米と称して、お国に取り上げられた。
 父は傷痍軍人となり、その上四人の子供のを抱えて三十五歳で寡夫になった。
しかし、親戚中は「子供のため」と言って再婚を容認しなかった。父は過ぎ去った
日々を振り返り、我が人生とは、家族とは、幸せとは何だろうと、自問自答した
ことだろう。
「思うようになれば蟹は横這いせんわ」諦める時、父がよく口にした言葉である。
川遊びも、猪狩りも誰に遠慮がいるものか。それくらいは自由に好きにするんだ。
きっとこう決めていたんだと思う。
父は孤独であったのだ。それを知った祖母は「因果応報」というか?
自分が身を粉にして働き通したのであった。
















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