第121話 農耕民族(1)

文字数 1,133文字

 寒村の農家に生まれて齢九十一歳。
日中戦争の中、物心ついた時には、第二次世界大戦が勃発。
農村は並べて貧しかったから貧乏は普通。あれは普通だったのか。
 番茶も出鼻で、年頃が来たら仲人さんがお見合いの話を持ってきた。
結婚は家と家のバランスで決まった。私がもう少しおとなしく素直だったら
農家に嫁いでいただろう。青春のど真ん中、農家に嫁ぐことは嫌なことだった。
 この時は、私の中に流れている「農耕民族の血」は、
早春の眩しさに覆われて感知できなかったのだ。
 ある日、目の不自由な次兄と私が同時に大学へ行きたいと言い出した。父は
「わしはまだ元気だし幸い山もある。炭を焼いたら一人なら仕送りはできるだろう。
どっちが行くか二人で決めな」もちろん次兄に優先権はあった。
「女に学問は要らない」と言い続けた祖母だったが、和裁と洋裁は何年も文句なしに
習わせてくれた。後になってみたら、遊び事の延長で時間だけ費やしたことになった。
これでお針仕事が出来るとは言えない。半端者である。他に働く脳も技もないから、
農繁期以外は家でぶらぶらしていた。無為に過ごしたあの頃を勿体ないと、しみじみ
思うが、その時はそれでよかったのだから、観念せざるを得ない。

 どうする老後。五十二歳で寡婦になった。
特攻隊の生き残りの亡夫は、「お釣りの人生」と称して、太く短く好きに生きた。
三人の子供はまだ誰も結婚していない。ただ長男は夫の死後十日目の天皇誕生日に
挙式することに決まっていた。葬儀は弟が仕切ったが、よく遊んだだけに色々な人との
交流があったのだろう。六00人にも見送られる盛大な野辺送りになった。
 仲人さんからは大変だろうから長男の挙式を秋に伸ばしたらはと提案があったし、身内
からも同じ話があった。が、私は心に期するものがあり、長男の意思も聞かず予定通り決行した。
結局それで万事よかったのである。
 生前、夫が計画した通り、町一番の売れっ子の芸者さんが「チンチン、チットンシャン」と
三味線で出迎えて、昔さながらの結婚式を挙げた。夫はどこかで見ていたように感じた。
 老後のことは己のことだけ考えればそれでよし。
 リタイアしたら小さい山の中腹に平家のこんまい家を建て、草木と花の中で暮らす。
朝露に足を濡らしながら収穫した野菜は朝の食卓に並ぶ。
 しかし、それは見果てぬ夢に終わった。夫の没後は、夢を追うどころではなかった。
子供たちに振り回された上、会社も不況で喘いだ。人間どこかに取り柄はあるもので、
みんなに「おっかあ」と呼ばれて職人さんとはグーな付き合いができた。

 さあ、いつリタイアするかである。零細企業というより家内工業のような小さい建材販売会社。
遂に六十二歳で職を退いた。
 いよいよ今日も、明日も、日曜日である。








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