第87話 彼岸と此岸

文字数 693文字

 彼岸は大乗仏教における悟りの境地であったり、日本独自の仏教
行事であり先祖供養と感謝を捧げる精進期間であるとされている。
 この世は此岸、三途の橋の向こうは彼岸であの世という。
 たまたま今日は彼岸の中日。

 あの世といえば過日「ブラタモリ」で恐山全山の放映を見た。私は
勉強もせずに口寄せにばかり興味を持って一昨年入山した。が、改めて
住職の説明を聞き、そうであったのかと、己の無能を再認識した。

 草木も生えず今も硫黄が噴いている凸凹の激しい恐山の岩石の一帯は、
あの世の地獄を思わせ、一転して白浜から湖への風情は、先人の言う、
極楽浄土であろう。蒼い湖には魚は住んでいないし、バクテリアも住め
ないと知る。澄み切った湖は漣をたたえていた。あの世の人の名前を呼ぶ
女人を見かけることがあると住職は話していた。

 雨に大きく阻まれることなくご先祖の墓参を終えた。
故郷への土手の道には秋草が実り、村境のトンネルの入り口に
現世でただ一人の恩師の植えた蜂須賀桜が群れをなしていた。
「チエ桜が咲いたよ」と毎年連絡をくれていたが今年は連絡が
ないと思っていたら、師は健康を損ねていたらしい。

 生ききることは難しい。男女の関係はさらに難しい。師は私を
贔屓していたが、だだそれだけ。それでも奥方はさらりと焼き餅を焼いた。
奥方は昨年旅立った。線香も手向けずご無沙汰しているうちに、師は施設
に入ったと言う。が、コロナで面会は制限されている現状。認知だとしたら、
面会するには覚悟がいる。認知を患っている友人を訪ねた後のやり場のない
気持ちを思い出す。諸行無常。彼岸あれこれ此岸あれこれ。
 何はともあれ生あるうちに師に会っておこう。







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