第91話 親は悲しからずや(1)

文字数 860文字

 大正十五年賢治はこの世に生を受けた。
出生後2ヶ月で父親に急逝された。その上、2年後には
母親とも引き離された。
「あんたはまだ若いんじゃけん、やり直しな、賢治はわしらが
責任を持って育てるけん」
義母は半ば強制的に賢治の祖父母に追い出された。
絶望の淵(死んだ方がましだと船の上を彷徨い、後に夫となる
男性に助けられた過去がある)を経て数年後、故郷、佐賀県の
漁師町、太良町で再婚した。豊かではなかったが、昭和7年に
男の子が生まれ、3男1女に恵まれた。
「幸せと背中合わせに、別れた賢治のことがいつも脳裏から
離れることはなかった」と言う。

 賢治は特攻隊の生き残りとしてお釣りの人生(本人曰く)を送っていた。
 敗戦後、20数年を経て、賢治は仕事で長崎へ1ケ月の出張をした。
迷った末に、夢には見たが、記憶にはない母を尋ねていった。
謄本を取り寄せ、住所を確認していたようだから、思いつきで
ない。きっと逢いたかったのだろうと察した。

「ごめんください。突然ですが私、四国から来ました賢治と言います」
玄関に出てきた婦人は「ああっ」と叫んで奥へ引きこんだ。
家族が束になって出てきた。
「お兄さんですね。私は義明と言います。とにかくお上がりください」
母と子は40年の星霜の歳月を一瞬で超えた。
義母のなく声がしばらく続いたと聞く。
 以来、毎年夏休みの頃になると、義父だったり、義妹だったり、
同伴者を変えて我が家へいそいそと来た。
過ぎ去った四十年の時空を取り戻すのに言葉はいらない。
「血は水より濃い」の諺にある通り顔を見るだけでよかったのだ。
私も物心ついて初めて「お母さん」と呼ぶ人ができて、
人並みになれた気がした。お母さんは何を話しても「うんうん」と
聞いてくれた。お母さんはおおらかな人だった。
 私たちも、よく太良町を訪問した。義弟夫婦は修身の教科書に出てくる
ような人たちで、いつも快く迎えてくれた。しかし、私たちは訪ねるだけで
何の孝行もしなかった。が、義母の穏やかな老後の日々を目の当たりにして、
会うたびに感動し、義弟夫婦に感謝の念を新たにしたものだ。











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