第115話 昭和の谷の村(3)

文字数 1,036文字

 園瀬の川は清流で、鰻も鮎もドジョウに渡り蟹もジンゾクも生息していた。
そのジンゾクを、父と兄、弟の4人で手製の捕魚器で追い詰めて大量に取り
ジンゾク丼にして食べた。ジンゾクはよく洗い器に入れ醤油を振りかける。と、
びっくりしたジンゾクは口を開ける。と同時に砂を吐き出すのだそうだ。
もののない時に醤油は勿体無いような気もするが、自家製で2番醤油を使った。
ジンゾクをザルにあげると、やっぱり砂を吐いていて、先人の知恵を知った。
ジンゾク丼はジャリ付いていたが、またとない馳走であった。
 鰻は竹の筒にミミズ仕込んで夕方川に仕掛ける。朝、筒を上げる。これは兄の
分野で、取れた鰻は生簀に入れ池に蓄えてあった。池は湧水で鯉も泳いで、小さな
中之島もあり、綺麗な池だった。貧しい食生活の中で、鰻丼は別格だった。
 棚田を赤とんぼの群れが飛び交う頃になると稲の穂が太り出し、秋祭りが近づく。
隣組にだんじりの当番でもきたら、笛や太鼓は夏から稽古しているから、早々と
お祭り気分になっている。
 始めて着せてもらった本身の晴れ着には二重に上げがしてあり、袖は一尺八寸
長袖と言った。一年に一日だけ長袖を着たこの日はお姫様になった。私もやっぱり
女の子だったのである。広くもない境内には露天が軒を並べ、虎さんまがいの威勢の
いいお兄さんが、バナナを売っていた。この日ばかりは食べ歩きOKである。
蒟蒻のおでんが好きでいつも買っていた。祖母の作る蒟蒻はこしこしとして硬い。
露店のおでんは、とても柔らかかった。
 やがて農家は忙しくなる。稲は一株ひと株、鎌で刈って5〜6株をひと束にして
ナルを組んで天日に干した。一粒のお米の重みは教えられなくても身をもって学んだ。
せっせと落穂拾いもした。
 乾燥した稲は大きな束にして、全て肩に担いで、取り入れる。その時は母屋の軒下も
も納屋もあわいもない。屋敷が稲で埋まる。人夫も入れていたので高校生にもなれば
一人前に働いた。なんたってお相撲さんの子、力持ちと煽てられて父と同じ大束を運んだ。
が、私は駄目だと賢い祖母と兄嫁は加わらなかった。
 霜月になると柿や蜜柑が色つき始まる。柿はもいだらすぐモンペに擦り付けてから
噛み付いた。概ね太陽のよくあたる上の方や手の届かない先の方が甘い。そこで、
誰の知恵だろうか。竹を割って大きな鋏を作り先端の柿を取っていた。

 昭和、平成と生き、令和の今、振り向けば、柿も蜜柑も栗も雑木に覆われて
影も見えない。それでも故郷はあるだけでもよい。故郷を語れば心和む。









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