第13話

文字数 1,124文字

 まるで自分の家みたいに、雫は狭い廊下をするする歩いていく。突き当りにある台所に着くとすぐ、薬缶に水をいれ、かちりとコンロの火をつけた。

「コーヒー、飲もうよ」

 電気や暖房器具のスイッチをいれていたら、予想通りの言葉が聞こえてきた。

「またコーヒー? 夜中、寝る前は飲むもんじゃないよな?」

「えー。そんなことないって。ほらみて、新作のコーヒー、焙煎したてを、おじさんに挽いてもらったの! これね、すごくさっぱりしてるから寝る前に飲んでも、ぜんぜん平気だと思うんだ。遊にも飲ませてあげたくて」

「カフェインが入っていたら、味は関係ないだろ?」

 こちらのツッコミなんて聞いちゃいない。すぐに背をむけて、いそいそと俺の家に置きっぱなしにしているサーバーにドリッパー、ぺーパーフィルターをセットする。そこに持参してきたコーヒーをいれ、宝物を扱うように、そっとお湯を流し込んでいく。

 ふわりとコーヒーの香ばしい香りが部屋中に広がって鼻腔をくすぐった。

「いい香り……」

 雫の言葉に反射的に頷きそうになり、苦笑する。いつもこうやって雫のペースに乗せられてしまうから。

彼女はそんな俺に気づいているのかいないのか。少し眠そうな顔をしながらも、マグカップに入れたコーヒーを2つ、小さな座卓の上に置いて俺を見上げた。

「飲んでみて?」

 雫の隣に腰をおろして、艶のある黒曜石みたいな色をしたコーヒーを見つめる。取手を持ち、丁寧に傾けそっと口に流し込む。猫舌なので、熱いものを飲むときはかなり慎重になる。

 苦味があまりない、スッキリした味わいが口に広がる。それでいて、微かに甘みがあり、後味もいい。優しいコーヒーの香りが鼻から抜けていく。

 かなりあっさりしているから、雫が通うコーヒー店の頑固オヤジの好みではないだろう。ただ悔しいことに俺は結構好きだ。何度もマグを傾け少しづつ味わう。これは認めざる得ない。

「……残念ながら美味いよ、これ」

 マグを座卓に置いて横にいる雫にそう声をかけたけれど、反応がない。

「雫?」

 ふと見たら、床に転がって丸くなり、気持ちよさそうに寝ていた。下はホットカーペットだから、暖かくなってさらに眠気が襲ってきたのかもしれない。それにしてもこんなに眠いなら俺を待たずに、自分の家で寝ればいいのに。

 立ち上がり毛布をだして被せてやると、自分から頭まですっぽりとくるまり、また丸くなった。安心しきって眠りこけるその様子はネコそのもの。

「ホント、自由な奴だな」

 ため息だか笑いだかわからないものをひとつ吐き出して呟く。雫との出会いを思い出す。通っている美大のデッサン授業で、彼女がヌードモデルとして俺の前に現れた。しかも最初からこいつは普通(まとも)じゃなかった。

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