第54話

文字数 844文字

「いてっ! 何するんだよ」

 慌てて顔を離して手の甲で唇を拭うと、雫がニヤリと笑った。

「じゃあねー」

 余裕綽々、まさにキャットウォークで歩き去っていった。傍を通りかかった学生が、こちらをジロジロ見ていたから軽く睨むと、慌てて視線を外して逃げていく。

「ホント、しょうがねえな、あいつ」

 口にだしてそういったら、可笑しくなってきた。ネコがじゃれついて噛んできたようなもの。そう思うとやっぱり憎めない。不意にジーパンの後ろポケットに入っていたスマホが、ブルブルと振動した。腰を浮かせて取り出すと、真琴からのメッセージだった。慌ててアプリを開く。

『遊さん、せっかくメッセージをくれていたのに、返事が遅くなってごめんなさい』

 そのあとに、ぺこりとまんまるなパンダが頭を下げているスタンプ。つい口元がほころんだ。

『家のルールで、夜はスマホをリビングに置かないといけないのに、夜中までどう返信するか考えまくって、こっそり自分の部屋にスマホ持ち込んでいたの。
それを父に見つかり、取り上げられちゃって。今朝学校行く直前にようやく返してもらえたから、今学校のトイレからこれ送ってます』

 そのテキストの下に、泣きべそをかいているパンダがぴこんと飛び出してきた。

「マジか……」

 思わず笑ってしまった。母親が失踪したあと、再婚した父親が渋々俺を引き取ったけれど、義母も親父も、俺がスマホをやろうが、ゲームをやろうが放置状態だった。

 育った家庭環境の違い。さらには自由気ままな一人暮らしの美大生の俺と、高校生でしかも受験生、あのうるさそうな親父さんにガッチリガードされている真琴。

 今置かれている環境も違いすぎるし、色々めんどくさすぎる。今までの俺だったら。多少気になる存在であったとしても、世界が違うから、面倒だから。そう思って真琴を避けまくっていただろう。けれど俺の指は既に文字をタップし始めている。

『大変だったのに、レスありがとう。夕方塾だっけ? その前に会える?』 

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