第40話

文字数 843文字

「遊さん、またね」

 そう言ったあと、声には出さずにあとで送るね、とちいさく口をパクパクさせて手を振った。

「真琴、俺にも挨拶!」

  俺たちの間に拗ねたように、割り込んでくる貴大さんに、真琴はくすりと笑った。

「わかってる! 今しようと思っていたとこ。オレンジジュースご馳走様! 貴ちゃんもまたね!」

 それからもう1度、俺の方に視線を向けて、すっと微笑んでみせてから、ひらりと背をむけ、店から出ていった。まるで小さな光が消えてしまったように、店の中が静かになった。

「あんな表情豊かな真琴、久しぶり。小さな頃に戻ったみたいだよな」

 真琴が飲み終えたグラスを洗っていると、背中で貴大さんがちいさく呟いた。

「え? そうなんですか?」

 振り返ってみると、貴大さんがタバコすいてえなあ、と呟いて手をエプロンのポケットに突っ込んでゴソゴソしている。最近禁煙しているのに、クセが抜けないらしい。

「遊にはさ、無防備な表情(かお)みせるんだよな、真琴」

「いや、俺、よくわかんないですけど……」

 最初に会った時から、真琴はあんな感じだったから、そう言われてもピンとこない。

「あいつね、小さい頃はあんなふうに天真爛漫だったんだ。表情がクルクルかわってさ。色々周りの物事が見えてくる小学生くらいからかな。だんだん作りもの、みたいな笑顔が増えてきて。ワガママもいわない、典型的ないい子になっちゃったんだよな」

「どうしてですか?」

 貴大さんはひとつ吐息をつくと、小さく微笑んだ。

「……真琴の2つ上の兄、俺の甥っ子ね。竜司っていうんだけど、先天的に自発呼吸もできない、重度の障害があってね。義姉(ねえ)さん、真琴の母親はずっと竜司につきっきり。真琴が生まれた時から、生活の中心は竜司だったんだ。真琴はそれを見ながら育って、色々考える事があったんだろうな。いつの間にかワガママも言わない、ひとりでなんでも出来るいい子になったんだよね」

 真琴の、無邪気な笑顔しか知らない俺は、なんと言っていいか分からず、貴大さんを見つめた。
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