第60話

文字数 770文字

「なにかあったら、言って。話すだけでも気が楽になるかもしれないし」

そう言って、くしゃりと私の髪の毛を軽くかき混ぜた。温かくて優しいこの手の感触。何度してもらっても、うっとりしてしまうほど心地よくて嬉しくて。

 でも、もっと触れてほしい。そんな妹をかわいがるような感じではなくて。そんな複雑な感情まで入り混じってくる。視線をあげると、いつもより近くにある遊さんの顔。

 至近距離で目が合っただけで、胸がきゅんときしんで、音が鳴ってしまいそう。照れ隠しに、子犬だったら遊さんの顔をぺろぺろ舐めちゃうのに。そんな事をおもいつく私は、やっぱり子供なんだろうと、熱を帯びたため息をつく。どこに向けていいかわからない視線がさまよい、唇のあたりでとまる。

それも恥ずかしくなって、急いで視線を外そうとした瞬間だった。微かな違和感が、私の心を小さく揺らした。遊さんの唇、上の方に釘付けになる。

「遊さんの唇、腫れてる?」

「え?」

 私の頭からゆっくり手が離れて、遊さんは自分の唇に指を当てた。それからあっと小さく呟いた。

「ああ、あのとき……」

「 何かにぶつけた?」

 私の問いに、そっと眉を下げて苦笑した。

「……ネコにやられた」

「ネコ?!  猫が引っ掻いてきたの? ちゃんと消毒した?」

ほんの少し、よく見ないと分からない程度に赤くなって腫れている感じ。引っ掻かれて出来たキズとはまた違う気がする。どちらかといえば噛まれたような? 考えを巡らせていると、遊さんはゆっくり首を振った。

「大丈夫。……ちょっとした事故みたいなものだったから」

 事故。その言葉が何故かひっかかってしまう。パッとみただけなら気づかない程度の傷。しかも唇。ネコってそんなに上手に噛むもの? じっと見つめても、遊さんは動じる様子なはくて。ただ苦笑したまま私をみている。
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