第38話

文字数 742文字

「いいよ」

「え?」

 俺の返事に心底驚いたように、口をポカンと開けたから、更に可笑しくなってしまう。

「なんで聞いてきた本人がそんなに驚くんだよ」

「だ、だって、今までお客さんに聞かれても、絶対教えないって言ってたのに」

 まだ驚いた表情のまま、目をパチクリさせている真琴をまっすぐ見つめて言う。

「真琴には、教える」

 もっていたスマホがするりと真琴の指から滑り落ち、ごとりとカウンターの上に落ちた。苦笑しながらポケットにある自分のスマホをとりだして、カウンターの上に転がっている、彼女のスマホにかざしてIDを交換する。終わっても真琴は固まったまま。顔を覗き込むと真っ赤だ。

「顔、完熟トマトみたい」

 からかう様にそう言うと、ぱっと両手を頬に当て、怒ったように口を尖らせて俺をみあげる。

「……嬉しいから。仕方ないでしょ」

 目が合って。尖らせていた口元がふにゃ、と崩れて。照れ笑いに変わっていく真琴をみたとき。何処かに置き忘れていたはずの感情が、不意にわきあがってきた。

 ――――傍にいて

 それは忘れていたくせに、思い出してみたらひどく強い欲求だった。もしかしたら忘れていたのではなく、抑えつけていたのかもしれない。小さな頃に、いくら求めても得ることができなかったから。無意識のうちに、真琴の手の上に自分のものを重ねていた。

「遊、さん?」

 どこかびっくりしたような表情をした、真琴を見て、手を離した時だった。カウンターのうえに、すっとオレンジジュースが置かれた。

「ねえ、君たち。オジサンの前でさ、そんなキラキラした青春(アオハル)見せないでくれる? もうその頃に戻れないって切なくなるからさ」

 振り返ると、ニヤッと笑っている貴大さん。真琴は照れ隠しなのか、一気にオレンジジュースを飲み干すと、盛大にむせた。
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