第63話

文字数 986文字

「ちょっとー、遊!」

 ウィスキーグラスを片手にご機嫌な様子で、ちょいちょいと手招きする雫に小さくため息をつく。

「なんだよ。仕事中なんだから、呼びつけんな」

「えー、だって今、お客さんあんまり居ないし」

 確かに時間が早いせいか、(Lampo)にはパラパラとしか客がしかいない。雫の座っているカウンターまで、あからさまに迷惑顔で歩いていった俺に、全く動じる気配もなく、ニコニコしながら顔を寄せて、囁いた。

「遊、なんかあったでしょ?」

「……なんかってなんだよ?」

 嫌な予感がして思いっきり顔をしかめても、予想通り全く意に介さず、雫はニヤリと笑った。

「表情が柔らかくなってる。笑ってる顔、妙にナチュラルだし。真琴に告白でもした?」

 からかうように、そんなふうに言ってきたから。軽く睨んでやる。

「してない。ていうか、もしなんかあっても雫に教えない」

 雫はじっと探るようにこちらをみてからふと小さく微笑んだ。

「……やっぱり妬けるなあ。遊にそんな顔をさせる真琴に」

 そこまで言われたら、少し不安になってくる。そんなに表情(かお)にでてしまっているのかと。真琴とはあれから会っていないけれど、ほぼ毎日メッセージをやり取りして1ヶ月たつ。

 妹みたいに思っている。

 そういったら綺麗事に聞こえてしまうかもしれない。けれど制服をきた女子高生に本気になるなんて。その思いがどこかで俺にブレーキをかけていたのは間違いなかった。
だけど。最後に別れたあの瞬間の真琴には、正直参ったし、思い知らされてしまった。

 とんでもなく切なげに瞳を揺らして、手を伸ばしてきた真琴を、どこか幻をみているような気持ちで眺めていた。顔を引き寄せられ、耳元で囁かれた声。

『遊さん、少し待ってて。私、はやく大人になるから。どこにもいかないで』

 子供みたいな台詞。それなのに声はどこか甘い湿度に濡れていて。思わずごくりと息をのんだ瞬間、耳たぶに軽い痛み。ごく軽く噛まれただけなのに、電気が走った。ビクッて震えてしまったのを、真琴に気づかれたかもしれない。

 慌てて身体を離して真琴の顔を見ようとしたら、じゃあまたね! なんていってこちらを見ずに逃げていってしまった。そんなの反則だろう。呆然としたまま残された俺のことを考えてほしい。今思い出しても苦笑してしまう。

 けれどあの時ハッキリわかってしまった。俺にとって真琴は、妹じゃなくて女だ、ということを。
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