第114話

文字数 746文字

 びっくりして声が出なくて。代わりにひゅっという変な音のする息をしてしまった。陸はじっと私を見つめている。いつものように冗談だよ、って笑って言ってくれるのを待ったけれど、唇は閉じられたまま。その間に耐えきれず、私から口を開く。

「……り、陸」

「うん」

 私の反応など予想していたとように、表情も変えずに静かに頷いた。

「あの、それ、ホントに?」

「……ホントに。さっき言ったよ。もう譲れないって」

 淡々とそういう口調に、陸の意志の強さを感じた。こういう時の陸は頑固だ。どうしていいのかわからなくなって、まわりにウロウロと視線を漂わせる。夕方の繁華街。私たちが立ちどまっている間にも、たくさんの人が、横をすり抜けて行く。

「だって……。こんな街なかで……そんなことできないし、その、あの……」

 陸も私の言葉に視線をぐるりとまわりに向けた。

「ああ、そっか。こんな場所じゃ無理か……」

 あっさりそう呟いたのでホッとしたのも束の間、私の手のひらを掴んでギュッと握りしめた。

「じゃ、場所変える」

「え? ちょっ……待って! あの……!」

 声が聞こえているのか、聞こえていないのか。無言のまま私の手をひいてずんずん歩いていくから、ひっぱられるままついていくしかない。つながった手はいつもの、遠慮がちなふんわりした握り方じゃなくて、ぎゅっときつく握りしめられている。ふりほどけない。

 ううん、無理やりそうしようと思えばできる。けれどその握りしめられている感じが昔、なにか怖いことがあった時に私の手を握ってきた小さな陸を思い出させて、できなかった。

 手を引かれるまま、橙色の空気に夕闇が溶けだした街を陸と歩く。そうしていると、まるでふたりして夢と現実(うつつ)の狭間を彷徨っているみたいで。なんだか地に足がついていない感じがする。
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