第120話

文字数 863文字

 手紙なんてほとんど書いたことがなかった俺が、大学の購買で封筒を買い、人生ではじめて文章を書くことに本気で向き合って、返事を書いた。

 雫とのことも、触れた。だけど受験勉強でいっぱいいっぱいになっている真琴に余計なことは考えさせたくないから。細かいことは省いたけれど、真琴に対する気持ちと雫への気持ちは違う。手紙を書こうなんて思うのは、真琴だけ。それだけはしっかり書いたつもりだ。

 それで真琴から返事がこなかったら、仕方ない。受験が終わったら本人に直接会いにいこう。そんな覚悟だった。その手紙を貴大さんに渡して、返事を待ったあの10日間。人生で一番長く感じたかもしれない。待ちに待って真琴からきた返事を見た時は美大に受かった時よりもホッとしたかもしれない。

 直接雫のことは触れていなかったけれど、俺からの手紙を喜んでくれているのがじわりと伝わってきた。そうやって。真琴が負担のない範囲で文通が始まった。

 買った便箋も封筒もこんなに使い切れるのかと最初は思ったのに、封筒はそろそろなくなりかけてきた。俺がこんなに手紙を書く人間だったとは。周りの人間は誰もそんなこと想像もできないだろうし、なにより自分が一番驚いている。

 手紙を開いた時の紙のてざわり。筆跡。返事を書くときの時間。想い。それらがメールやメッセージとは違うぬくもりを感じるなんて思いだした俺は、いつの時代の人間だよ、と自分にツッコミをいれたくなる。

「手紙を運んでるんだから、そのご褒美にちょっとくらい読ませてよ」

 物思いにふけっている俺の顔を覗き込むようにして貴大さんが笑った。とてもじゃないけれど、貴大さんに見せられるシロモノではない。未来永劫ネタにされそうだ。

「……貴大さんに読まれたら俺、しばらく寝込んで仕事休みますよ?」

 ケチだなあと貴大さんは子供みたいに笑う。けれど確かに真琴のウチに通ってもらい手紙を運んでもらっているわけで、迷惑をかけてしまっているのは確かだ。

「なんか……すいません」

「え? なにが?」

 貴大さんはきょとん、とした顔をして、俺を見つめた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み