第113話

文字数 688文字

 陸は私をよく知っている。ううん、私よりも知ってるかもしれない。勉強するのが苦しくて逃げ出しそうになっても、陸が頑張っている姿をみると、やっぱり負けられないって思う。陸もそれをわかったうえで私の闘争心を煽ってくる。さりげなく、効果的に。

 自分をよくわかってくれる人が傍にいてくれる安心感。陸を遊さんみたいに好きになれたら、こんなに苦しくならない。きっと。でもだからこそ中途半端に答えたくないし、嘘もつきたくない。陸が同じ立場でも、きっとそうするだろうから。

「陸」

 私も前を見たまま呟く。陸の指先が微かにぴくりと動いて、私の指を強く握った。

「あのね」

「うん」

 陸の相槌は、すこし掠れていて小さかった。

「忘れるのっていうのは、無理かもしれない」

「……」

「……忘れようとしても、頭のなかにどうしても遊さんがいる、から。でも……」

 小指を包んでいたぬくもりがゆっくりと消えた。顔をあげると、陸がじっと私を見つめていた。

「でも?」

「……他のことなら、できるかもしれないから。言ってみて」

 そういってみたものの、何を言われるのだろうと落ち着かなくなる。見上げた視線が重なりあう。

「それなら、違うことにするよ。これは譲れないけどいい?」

 いつもどおりのからかう様な口調。口元も緩いカーブを描いている。それなのに、その瞳は私を見つめているようで、どこか遠くを見ているようにも見えた。私のココロを透かしてみているみたいに。

 なんだかすこし、緊張してしまう。

「うん」

 そう答えた私の声は、ひどく頼りなげに響いた。

 陸が一瞬だけ躊躇うように唇を震わせたあと、ささやく様に呟いた。

「……俺にキスして」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み