第59話

文字数 815文字

 驚き。それから少しずつ、蕾がほどけて咲く花のように、遊さんの顔に笑みがひろがっていく。顔が火照っているのも忘れて、ぼんやりとみとれてしまった。

「ありがとう」

 照れながらそう呟いた遊さんの表情を、私はきっと一生忘れられないだろう。泣きたくなるような切なさや甘酸っぱさ。そして優しさが混じり合った、とても貴重な何かをその笑顔に感じたから。私の気持ちを、大事に、丁寧にうけとめてくれた。そのことがよくわかっただけでいい。

 遊さんの笑顔がうつってしまったように、私もニコニコしてしまう。最初はあんなに緊張していたのが嘘のように、気持ちも空気もゆるんでいって、話も止まらなくなってしまった。私がベラベラ喋ってしまい、気がつくと遊さんはうなづいてくれたり、笑ったりしてくれているだけ。

 遊さんのことも、もっと知りたい。すぐに私の話に戻してしまう遊さんに、諦めずに質問を重ねていたら、言葉を選びながらようやく話してくれた。小さい頃から、気がついたらいつも絵を描いていたこと。美大にはいるために、高校時代からずっと、アルバイトをしていたこと。将来はグラフィックデザイナーをめざしていること。なんとかそこまで聞いたあと、また、いつの間にか私の話に戻ってしまった。

「真琴って医学部をめざしてんだ。かしこいね」

 他の人に同じことを言われたら、いつも反論したくなる。かしこくなんかない、必死でやっているだけ、と。でも遊さんに自然な感じでそう言われると、照れくささと同時に、少し違う感情が湧き上がってくる。

「そ、そんなことないの。私……」

 私を見つめる瞳が透明で穏やかで。ふと話したくなってしまう。胸の奥で小さく疼く、鬱々としたこの塊のことを。でもそれをそっと飲み込む。こんな事を言ったら、嫌われてしまうかもしれないから。遊さんが微かに首を傾げたのをみて、首をふる。

「なんでもない」

 えへへと笑うと、遊さんもそっと微笑んだ。それからゆっくり伸ばされた腕。
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