第64話

文字数 1,061文字

「おや、雫ちゃん。珍しい。いらっしゃい」

 貴大さんが、エプロンの紐をしめながらバックヤードからワインボトルをもって出てきた。

「あ、どうも。お久しぶり、です」

 先程までの勢いはどこに行ったのか、急に借りてきたネコになって、視線をウロウロさせ始めた雫にふき出す。

「何よ?」

「いや。どうもって挨拶、お前がするとおかしい」

 笑いを堪えてそう言うと雫が不満そうに口を尖らせた。

「うるさいな。いいでしょ、別に」

 こっちを見る時は遠慮なくガッツリ目を合わせてくるくせに、貴大さんのことは真っ直ぐ見れないのは相変わらずだ。

「髪切った? 前に会ったときよりさらに短くなってる」

 貴大さんがじっと雫を見つめると、びっくりするほどの速さで瞬きをしているから、また笑いそうになったけれど、なんとか堪えた。

「あ、ちょっと前に、deep blueってバンドのMVに出演()たときに、少年みたいなイメージって言われたから、バッサリいっちゃったの」

 雫が困ったように笑って、自分の短い髪を指で摘んだ。確かに今まで見た中で短い。ベリーショートの1歩手前。しかもかなり色も抜いたせいか、プラチナブロンドみたいな色をしている。

「deep blue、聞いた事ある。わりとメジャーなバンドだよね」

 貴大さんはまじまじと雫の髪の毛を見たあと、にっこり微笑んだ。

「いいね。似合ってる。色気二割、いや三割増したかな」

「……ホントに?」

 小さな花みたいな笑顔を遠慮がちに覗かせた雫に、貴大さんは頷いてみせた。

「うん。俺、ショートすきだよ。少年ぽいのに、ふと女性っぽさをかんじさせられたりするから。ギャップにドキドキするよね」

 会話の隙間をぬうように携帯の低い振動音が響いた。

「あ、俺のだ。ちょっとごめん」

 貴大さんはポケットからスマホをとりだすと、雫に軽くにこりと会釈して、そのまままた奥にひっこんでしまった。一瞬の間のあと。はあああ、という雫のため息が響いて、どすんとテーブルに突っ伏した。

「あー緊張した」

 その弛緩ぶりに笑みが零れる。

「だよな。雫を緊張させる唯一のひと、だよな」

 雫がカメみたいな緩慢な動きで顔をあげる。

「……貴大さん、すごく軽い調子で好きだよっとかいうんだよねえ。でもホントに好きな人には言ったことがない気がする」

 ちょっと唇を歪めて自嘲するように笑うから。割と本気で言ってやる。

「でもさ貴大さん、ウソは言わないよ。あの人は思ってもいないことは言えない性質(たち)だから」

 雫はうん、と頷きながら微笑んた。

「それもわかる。遊もそうだよね。ウソは言わない」



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