第9話

文字数 793文字

 遊さんがまた立ち止まり、ゆっくりと私をみた。ぴたりと目が合ったけれど、やっぱりその瞳からは、遊さんの感情は読み取れなかった。

「甘え、じゃね?」 
 
 ぼつりと呟かれた言葉は、紙で切った時の指の痛さに似て、私のココロをギザリと小さく裂く。遊さんは私をじっとみている。だから私も目を逸らさない。

「甘え……」

「もうすぐ高3だろ? 受験勉強をしたくないっていう、いい訳?」

 なんの温度も感じられないその声に、すぐに首をブンブンとふる。

「受験勉強はべつにいいの。それはやっていれば終わるから」 

 いつか終わることならいい。そうじゃなくて……なんて説明したらいいのだろう。表面上、私は間違いなく恵まれている。
 
 高校生がいくら親戚のお店だといってもバーに通うなんて許されるわけがない。厳格な父がそれをしぶしぶ許しているのは、昔から大好きな貴ちゃんの傍にいることで、勉強のいい息抜きになっていると思っているから。私はまわりに理解され、守られている。それでも逃げ出したくなるこの感覚、痛みに気づいたのは最近。

 小さな頃は物分りのイイコであることで、父や母がほめてくれるのが嬉しかったし、なんの疑問もなかった。でも今考えてみれば優等生でいるしか選択肢がなかったし、そうあり続けようとがんばってきたのかもしれない。

 進路を医学部志望と伝えたとき。両親が喜ぶと同時にとてもホッとしたような表情になったのを見て、痛みに近い何かが胸のなかで膨れ上がって、はちきれそうになった。

 2つ上の兄である、竜ちゃんのために医学部を目指しているわけじゃない! そう両親に向かって叫びそうになったけれど、その言葉を必死で飲み込んだ。ううん、もしかしたら。竜ちゃんがいなかったらそもそも医者になろうなんて思わなかったかもしれない。

「違う。そうじゃない……そうじゃないもん!」

 心の声を実際に出してしまい、はっとして口を押さえた。


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