第89話

文字数 900文字

 会いたいと送ったメッセージに遊さんが返信してきた内容を思い出す。

(しばらく会わないほうがいいと思う。浪人してしまったら、会えない時間が長引くだけだよ?)

 遊さんはクールに物事をスパッという。
メッセージでもそれは変わらない。でもいつもそっとフォローを挟む。

(俺も会いたいけど、ね)

 その一文を何度も指でなぞってしまう。あの低くて柔らかい声で言われたところを想像すると、痛さに似た甘い刺激が指先に走って私を小さく震わせる。不安とドキドキがまじりあった変な感覚。

 遊さんはきっと知らない。彼だけが、私の気持ちを飴細工みたいに甘く溶かしてどんな形にでもしてしまうことも、不安で固く凍らせることも。遊さんのことを気にしすぎだってわかってる。この意識をもっと勉強に向けなくちゃいけないことも。だけど勝手にそうなってしまう。

 そんなことを考えていたら、お店はもう、目の前。やっぱり会わないほうがいいのかもしれない。そんな迷いが私の歩みを止めた。
夜の街に溶け込むような橙色を灯したLampoの看板をしばらく眺めてしまう。
 
 それでも。私は手のひらを握りしめる。こんな遊さんの近くまで来たのに。顔をみないなんて、やっぱりできない。お店に行ってみよう。心をそう決めてまた、歩き出した時だった。

 長身の影が、入口のそば、階段の踊り場にみえた。見間違えるはずがない。あのシルエットは遊さんだ。神様がくれた偶然。喜びが胸いっぱいにひろがって、自然に笑みが零れてしまう。

「ゆ……」

 そこまで言ったところで、喉元を押さえられたみたいに声がでなくなった。遊さんが、目の前にいるひとに、穏やかに微笑みかけたから。背が高くて髪の毛が短いから、最初は男の人かと思った。けれど身体のラインが華奢で、すぐに雫さんだとわかった。

 ふたりは何故か店の外で話をしている。営業時間中なのに、どうして外にいるんだろう。まっすぐに遊さんを見つめる雫さんの眼差しが、悲しげで真剣な気がして。声をかけられない。不意に。雫さんの手が遊さんに向かって伸ばされた。それが遊さんの腕をそっと掴む。

 あ……

 声になる一歩手前、ため息のような吐息が勝手にこぼれ落ちた。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み