第30話

文字数 876文字

 開店前の下準備。 チーズを包丁で切る作業も別にどうってことのないルーティン。だけど、何故か今日は包丁がまな板にあたる音がやたらと響く。

「ちょっと遊、チーズに殺意でもあんの?」

 貴大さんが俺の手元を覗きこんで苦笑したから、思わずため息をつく。

「……普通にやっているつもりなんですけど」

 ちらりと貴大さんを見ると、なんだか楽しそうに笑ってる。この人は妙なところで勘が良かったりするから厄介だ。

「なぁんかここ数日、遊くん機嫌悪くない? 怖いんですけどぉ」

 俺によく絡んでくる客の口真似だとすぐわかった。それが無駄に上手すぎてつい、吹いてしまう。

「似過ぎですよ、それ」

「やっぱり似てるよな? 俺も自分でやってて、マジでそっくりだと思ってビビった。ミキちゃんがのりうった?」

 そう言って目尻をくしゃりとさげて笑う。この人の、こんなふうに嫌味なく人に寄り添う感じが、皆に好かれる所以(ゆえん)なんだろうと羨ましく思う。

「で? なんかあったんだろ?」

「いや、……特にないですよ、ただ……」

「ただ?」

「……自分でもよくわからないんです。すいません、意味不明で」

 これは本音。気持ちがささくれ立っているのは認める。けれどどうして自分がこんなふうに、イラつくのか納得はいかない。貴大さんはちょっと考えるように俺を見たあと、ニヤリと微笑んだ。

「今朝さ、めちゃくちゃ久しぶりに雫ちゃんから電話があったんだよね」

 それを聞いただけで、なんとなく話が見えてしまう。

「……雫、何しゃべったんですか」

「朝爆睡してたら携帯鳴ってさ。寝ぼけながら電話とったんだよ。そしたら雫ちゃん、デカい声でいきなり『貴大さん! やっぱり黙ってらんない! 事件事件!』とかあのテンションでしゃべりだしたんだよ。目が一気に醒めた」

「意味、わかんねえ……」

 ぼそりとつぶやくと、貴大さんはワクワクしたような目をして俺を見た。

「真琴が男と一緒にいるところに、外でばったり会ったんだって? 」

「……ああ、会いましたよ」

 あえて淡々とそう答え、切ったチーズをタッパーにいれると、貴大さんが苦笑いを浮かべた。
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