第82話

文字数 863文字

「あいつって……もしかしてお前の親父?」

 雫は肯定も否定もしないけれど、間違いない。以前1度だけ雫から聞いた事があった。顔だけが取り柄のような男で、仕事も長続きせず、雫の母親がスナックで働いて生計をたてていたらしい。つまり典型的な"ヒモ"だ。

 けれどその母親はムリが祟ったせいか早くに他界、不満の捌け口は一人娘の雫に向けられる。素面(しらふ)なら気弱でおとなしいらしいが、昼間から酒を飲み、アルコールが入ると暴れだす。しまいには家にあるなけなしの金をすべて持って飲みに行ってしまう。
そんな生活に耐えきれず、雫は高校を中退して家出し、父親から逃れたといっていた。

『見つからないように気をつけていたけど……大して売れてなくてもモデルとか、ミュージックビデオに出るとか目立つ仕事をしていたら、見つかっちゃうよね。引越ししないと、だめかなあ』

 雫は泣きべそをかいているみたいな声でそういっているくせに、ふふ、と小さく笑った。

「……とりあえず今、どこにいる?」

 ため息をつきながらそうたずねると、雫はほんの少しだけ間を空けて答えた。

『……M駅のまえのベンチ』

「俺んとこの駅じゃねーか!」

 漫才のツッコミのように勢いよくそういうと、ほんの少しだけ、いつもの調子を取り戻した雫が、だって! と拗ねたように返してくる。

『いきなり部屋行って、真琴がいたら悪いかなあって思って』

 最近部屋に押しかけてこなくなったのは、雫なりに気をつかっていたということらしい。

「悪いって……。高校生の真琴を、部屋に連れ込んだりしないから。雫、俺の部屋に来る気マンマンだろ」

 苦笑しながらそういうと、なんどか吐息をついたあと、雫がぽつりと呟いた。

『……こんな時に頼れるの、遊しかいなくて。……ごめん』

 頼りなげな声。昔、俺が母親に捨てられた時に感じた不安や心許無い感覚を思い出させるその声は、心の内側で反響してしまう。世界で、ポツンとひとりきりのあの感じ。知っている人間にしかわからない、深い孤独。  

 それを共有しているから。やっぱり雫を放っておくことができない。


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