第11話

文字数 823文字

 築30年のボロいアパートの階段。ところどころ錆びた階段をのぼるたびに、ギシギシときしむ音が響く。その音を聞くと帰ってきたと思うくらいには、愛着が湧いてしまっている。

 雨はもうあがっていて、月が雲の間から覗いている。ぴんと冷え切った空気を湛えた空に、磨きこまれたように光るまんまるの月。

『遊! ほらおいで! 月が綺麗だよ。まんまるお月さま、みてみて!』

 母親がはしゃいだ声で、俺を窓際まで呼んだことを思い出す。多分俺は3歳とか4歳位で、他の記憶はあまり無いのに、母親の無邪気な笑顔と冴え冴えとした月だけは、ひどくクリアに思い出せる。そう、ちょうど今夜みたいな……。

 なんでこんなことを思い出したのか。ちらりと真琴の顔が頭を過り、小さく首を振って苦笑する。そんなことをぼんやりと考えていて、部屋の前にうずくまるデカい塊に気づかず、軽くつまづいてしまった。

「うわっ」

 びっくりして小さく叫ぶと、塊がもぞり、と動いた。

「あー、ようやく帰ってきた……」

 大きなあくびをして、うーんと両手を伸ばす塊。しばらくその塊を凝視したあと、大きくため息をついてしまった。

(しずく)、お前なにやってんだよ」

 驚きを通り越し、呆れている俺の声に動じる様子もなく、雫はよいしょ、とババくさい掛け声をかけて立ち上がった。

「何って、遊のことを待っていたに決まってんじゃん」

 色素が抜けてほとんどプラチナみたいな栗色のショートカットを揺らして笑う。それでもまだ眠そうな瞳は、いつもの半分くらいしか開いてない。顔は白いのに、頬だけがまるで雪道を走ってきた子供のように紅い。

「今日、俺がバイトに入ってるって知ってるだろ。なんでこんな寒いのに、こんなトコで待ってんだよ」

 熱でも出したのではないかと雫の額に手を当てると、全くの平熱。少しほっとして、とりあえず鍵をあけようと、手を離そうとした時だった。雫は俺の手首をぎゅっと掴んでニコリと微笑んだ。

「え、だって。急に遊とシタくなったんだもん」
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