第128話

文字数 861文字

 秋の空は高くて青い。生物学の教科書から目を離して空を見上げると、深いブルーが目に眩しいほど鮮やかにひろがっている。

 都心から少し離れた場所にある、一般教養専門キャンパスの中庭。独りになりたいと思ったら、ここのベンチにきてぼんやりしたり、予習をしたりしている。

 1年次にしか通わないこのキャンパスは、専門課程で通う、都会のど真ん中にある本校舎よりものどかな雰囲気で、心を落ちつかせてくれる。

 かなりタフな試練だった受験を乗り越え、どうにか国立大(ここ)の医学生になった。辛い勉強のモチベーションは、大学に入れば世界が広がるかもしれないという希望。そして絶対に医者になるという意地だった。

『あたし、医者になる』

 あれは小学校1年だったと思う。そうつぶやいたときの真琴の横顔は忘れられない。将来の夢を語る、というより使命感に満ちた難しい顔をしていて、なにかの決意表明みたいだった。障害がある兄、竜司くんのことを考えていたのかもしれない。

 子供の頃の真琴はとにかく活発で、姉御肌。引っ込み思案で泣き虫だった俺の手を引っ張って、どこにでも走っていった。あの頃、世界の入口はすべて真琴だった。いや入口、というより世界そのものだったかもしれない。

 真琴が笑えば、世界はキラキラ輝く。真琴が泣けば一緒に土砂降りのなかにいる気分になった。真琴と手を繋いでいたら、どんなことがあろうと怖くなかった。その真琴が医者になるというなら自分もなる。そう決めた。

 成長して、どこか殻に閉じこもるようになった真琴も見つめ続けた。今度は俺が真琴を守る番だ、本気でそう思っていた。

 ずっと一緒にいるのが当たり前だと思っていた真琴は、今はそばにいない。だけど俺は医者になる覚悟を決めてここにいる。真琴は推薦で地方の国立医学部に先に合格、俺たちの大学は別々になった。

 真琴から合格した、と聞いたあの時の気持ち。もう一緒にいられなくなるという寂しさと、あの男の隣で無邪気に笑う真琴を見ないで済む安堵が入り混じった、複雑なものだった。でもこれで良かったのかもしれない。

 


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