第119話

文字数 841文字

『……遊さんが電話で、一生懸命私と話をしようとしてくれたから。雫さんとのこともちゃんと聞いたら、言い訳とか、そんなことじゃなくて、きちんと説明してくれたんじゃないかって。時間が経ってから、そう思えるようになりました。

 遊さんにとって雫さんも大事な人、なんですよね。その気持ちをすべて否定して、ないことにしないと、他の誰かを好きになっちゃいけないとか、そういうのはおかしい。そんなことは、私もできないって。

 ああ、やっぱりうまく説明できていないかもしれません。今の私には、とにかく余裕がないのです。

 受験は否応なく迫ってきて、いくら勉強しても時間も能力も足りなくて。問題ができなくてあせって泣きたくなったり。模試が少しでもいい結果がでたらホっとしたり。

 遊さんのこともちゃんと考えたいのに。でも不器用な私は両方同時にすることはできない。

 それで決めました。今は勉強を本気の本気でやる。ちゃんと、やることをやってから、私の大事なことにしっかり向き合っていきたいって。

 だから時間をくれませんか。

 それまで遊さんは待っていてくれますか? 真琴』

 丁寧に書かれた便箋を見つめながら、心臓が波打つのを止めることができなかった。

 手紙で、こんなに感情を動かされたのは、母親がいなくなる時に置いていったあの手紙以来かもしれない。

 あの人は泣きながらあれを書いたのだろう。あちこちに染みができて、文字も乱れていた。当時の俺は、これよがしに泣いた事をアピールするような手紙にも、それを破り捨てられない自分にも腹が立って仕方なかった。

 でも今なら冷静に考えられる。あの人は様々な事情や孤独に耐えきれず男に走った弱い(ひと)だったのだ、と。でも真琴は違う。

 彼女の字は、まるみを帯びてかわいらしいけれど、濃くくっきりと整っている。泣いても苦しくても、人生に対して真向勝負を挑もうとしている真琴の姿が、筆跡や文面から滲みでていた。

 やっぱりこの()の手を放してはいけない。身体の内側からそんな声が聞こえた気がした。
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