60. 《 悼む日 》 2023/2/18

文字数 1,447文字



毎日があっという間に過ぎ去り、「また日曜日か・・」という嘆息を吐いている近年から比べると異常に長く感じた昨年 2022年だった。

父を特別養護老人ホームで看取ったのが2月18日、
それに先立つ1月8/9日は孫ヒナの小学校卒業旅行で高松・小豆島エンジェルロード、
お盆の8月14/15日は孫ユウトの小学校卒業旅行で高松・琴平金比羅宮、
8月16日からは 次男一家が移り住み7人家族に戻る。

これらの出来事に深くかかわってきたのが新型コロナだった、コロナ規制解除となる今、長かった2022年を振り返ってみる。

ヒナの卒業旅行はコロナ感染拡大時期と重なったために2回(2年)も延期した、実現したときには中学2年生になっていた。
父の看取りは第七話で詳しく記したとおり特養施設封鎖中の異様な看取りだった、父本人はコロナではなく老衰で亡くなった。
ユウトの場合は入学前たとえコロナ感染拡大中であろうと敢行予定していたが、父の葬儀の余波で夏休みに延期したが結局第7波の最中だった。
次男一家同居の結果、我が家にも感染機会が増加し、孫二人発症に伴い今まで無傷の妻がコロナに感染した。

日本・世界でコロナのために命をなくされた大勢の方々を想えば、我が家のコロナ被害が特別だったとは思っていない、たった一つだけ、コロナに惑わされたことで心の奥が穏やかでないことがある。

父の葬儀に際して僕の判断が父の気持に添えたものかいまだに悩んでいる、そのお話をしてみたい。
前述のとおり父が亡くなったのはコロナパンデミック第6波の2月、施設内での感染・死亡もあって施設全面封鎖状態の時だった。お願いした葬儀社が勘違いをしてコロナ病死者用の棺を持ち込んだのは、笑い事ではなくそれほどに日本中が緊張していた。
父は98歳と10カ月という高齢で天寿を全うしたため列席できた友人は一人もいなかった、長寿の良し悪しの一例だ。
加えて コロナ感染拡大中ということもあり葬儀は身内だけの家族葬にしたが、近親者のなかにもコロナ感染中のものもいて、結局葬儀に列席したのは8人だけだった。

自宅から見送るという方法もあった。
しかし、施設内がコロナ感染していたので念のためこれも却下、葬儀施設内ですべての儀式をお願いした次第だ。
入棺の前に「お化粧」をすることをエンジェルケアという、今回初めて聞いた言葉だった。
身体を洗浄し、髪・肌艶を整え、故人の尊厳を守ることがその目的で、通常、病院で基本的なエンジェルケアをしていただくらしいが、特養施設は医療機関ではないので、希望するのであれば葬儀社に別途リクエストする必要があった。

敢えて、エンジェルケアをお願いしなかったのには理由がある。
ひとつにはどんなケアを施しても父のかっての姿に戻すことはできないだろうという冷静な諦めの気持、父は看取り期間2週間で、骨以外のすべての肉体を消耗したように痩せこけていた。
もうひとつは、「葬式はいらん」という父の生前の言葉に従っただけという言い訳に加えてコロナ渦の葬儀を簡素に済ませたかったという焦りがあった。
その代わり、父が誰にも告げることなくひっそりと遺していた警察官礼服一式・帽子で父を覆って見送った、エンジェルケアに変わる心ばかりの旅支度だった。
でも、
熱心な真宗門徒だった父にエンジェル(天使)の導きなどは必要なかったはずだ。
檀那寺からは「顕徳院釋東光居士」という有難い院号を頂戴した、この「東光」が照らし出す道に従うだけでよかった。

それでも まだ想い迷う 一周忌 祥月命日の 今日である。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み