26.《 SPの日 》 2022/7/9

文字数 1,792文字



またまた父の話になることをご容赦願いたい、初盆前の父の魂を少しでも慰めることになればいいのだが。

父が香川県警察に奉職していたこと、退職後飲食業を楽しんだこと、そんな歴史はすでに説明済だ。
警察官になったのは海軍を退役(敗戦で)して故郷に戻ったものの、22歳の青年に仕事もなく、いやすべての日本人に仕事はなく、食を満たすためには、農業で食物を育てるか、農地がないのであれば家財を売り払うか、家財を盗むか(冗談だが)しかなかった。
日本国はそんな国民のために配給制で食物を供給していたがむろんそれは名目だけのもので「食」は常に足りていなかった。
「食」足りず礼節が忘れられ、「闇商売」が横行した。
政府管理外の商品(主に食品)を産地で購入して消費地(街)でこっそりと売る、または仲間で分配するのだった。
犯罪行為なので当然官憲から厳しく取り締まられているが、それでも庶民は食うためにあえて「闇行為」に手を出した。
父も米を高知で仕入れて予讃線で帰ってくる折に警察の臨検に遭遇し荷物を捨てて何とか逮捕を免れたことがあった。大きな損害だった。
一方で戦後民主化の流れで労働組合運動を中心に左翼活動が活発になり、そのための人員勧誘が盛んだった。人民のために働き戦うというスローガンに若者は引き寄せられるように集まった、立て万国の労働者である。

父がそんなオルグに悩ましい思いをしているある日、ふと電柱に貼ってある募集広告に気づく・・・警官募集だった。
アメリカ軍GHQの指示でアメリカスタイルの自治体警察が創設され、各地方自治体が警察を運用することになった、人材募集もだ。
「警官でなきゃ、共産党だった」というのは父得意の皮肉であるが、実際は「闇商売で捕まるより捕まえる方」を選んだというのが真実だろう。
最初は駐在所から始まって、刑事部警備課に移った、警備部門は警察庁でいう公安部の地方組織だ。
そのころ自治体警察構想は瓦解し、今の国家警察に模様替えしていた。
地方の、西日本の警備部は主に北朝鮮対応をするところだった。密入国、不法潜入、対諜報業務と言えば聞こえがいいが、世間の裏側での仕事が多かった。
その実績で県警本部に移った、仕事が多岐多様に拡大していった時代でもあった。

中でも、県警SP第一号になったことは、父の微かな自慢だった。
県警SPは警視庁SPが警護する重要人物を県内で警護を担当する、警視庁SPが引き続き警護する際はサブになり、彼らが県境(空港、港)で引き返すときは警護を引き継ぐことになる。
警護対象は主に総理大臣以下閣僚がメインになる、そのほかには皇族、外国大使を担当した、陣笠議員がSPをつけろと息巻いてうるさかった。
当時大平正芳氏が総理大臣だったので毎回警護につき顔なじみになった。空港で総理を待っていると、父を見つけて嬉しそうにハグする、これは恥ずかしかった。
警護の途中大平総理の好物、というか県民食、讃岐うどんとばら寿司を一緒に食べろといつもうるさかった。
父が一番感銘した警護対象は池田大作氏だった、VIPなのに尊大なところはなく食事は自分と同じものを用意し同席で食べると譲らなかった。
父は警護対象に張り付く役目だったのでこのように食事も共にした、その間仲間の警官が要所を固めていた。
小型拳銃を持たされが、父は刃物での攻撃に銃は無力だと悟っていた、いざというときは盾になるだけだと。対象者が乗車の際に手で頭をカバーするのも同じこと、頭部を狙撃された際の緩衝になる。
警護は24時間、所轄警察要員と交代しながら数日続くこともある、体力と辛抱が求められる。
幸いなことに父のSP任務中に事件は起こることなく、その後無事退職することができた。

昨日(7月8日)元総理安倍晋三氏が街頭演説時狙撃され亡くなった。今朝から早速、暴力に屈しない民主主義の論調が盛んである。
それ以上に、ミステリー芬々の事件であることが気になって仕方がない。狙撃場所?スケジュール変更?手製の銃?致命弾?犯人プロフィール? 
そして警護の不備?

「なんでこんなことになったんや?」・・・父に聞いたら何と答えるだろう・・・
「急な警備配置指令、暑い時にみんな疲れてたんかな」
「慣れがあったんかも、油断かな」
「人員は元総理ならこんなもの、政界のドンなら私設ガードマンやろ」
以上すべて僕の妄想である、妄想するほどにおかしな日本を感じた今日である。
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