9.《 すてさる(捨て去る)日 》  2022/3/16

文字数 1,751文字




当節では「希」ではなくなった「古希」ではあるが、そこを通過した身としてはこの72年間を顧みるとやっぱり感慨深い。
団塊世代の最後尾を走ってきたので、何かと人生の節目において厳しい競争に遭遇し、その度に勝ったり負けたりしてきたものだ。
今つくづく理解しているのは、勝って何かを得たことも、負けて何かを失ったことも意味のないことだということ。正直に言えば、そのあたりのことをよく覚えていない、だから重要なことではないのだろうとしか考えられない。
もしかしたら、72年間で得たもの失ったものすべてを時の波間に捨て去ってきたのかもしれない。

本エッセイ「今日である」のプロローグ「始めるにあたって」で、隠れキーワードともいえる「老い」、「病気」、「死」を敢えて挙げている。人生で得たもの失ったものに帳尻があるとしても、そんな帳尻は「老い」・「病気」・「死」の前では歯が立たない、役立たないという仮説だ。

「老い」は僕を社会から引き離した。
会社人間からは程遠い存在であると自負していた僕は、働き止め(65歳)以来それまでの仕事仲間とは絶縁している(されている?)。今では仲間や取引相手の名前すら忘れてしまった、当然のように業務上の専門的知識もすっかり脳内から消えてしまった。
追い打ちをかけるようにこの二年間のウイルスパンデミックを梃にして、世の中は高齢者を腫れ物に触るように、しかしきっぱりと拒絶してきた。高齢者はワクチン接種、治療入院において優先された、その代わり世間をウロチョロするなよ・・・と囲い込みされた。
従順な同調者である僕は二年間、居住地(海老名)を越える不要不急の外出は固く禁じてきた、それで困ることは実のところ何もない。
ある筋からは年寄りも働けという厳しいご時世だが現実に働く場所などどこにもないうえ、当方 脳みそも筋肉もこんなに衰えているのだからこれは無理な注文だろう。

だから・・・親、子供たちがいなくなってがらんとした家の中で、勤め人時代の不在を取り返すかのようにマイホームを味わっている。
朝ごはんの担当を申し出て前夜にメニューを決めながら三代目ビーグルと眠りにつく、小説を読み映画を観てレビューを書く、自分も小説の構想を練る、故障を悪化させない程度にランニングする、ビーグルと散歩する、夕食では好きなアルコールを嗜む・・・
仕事を引きずらずきっぱりと捨て去ることで、穏やかなストレスのない小さな幸せの日々を取り戻した。
そして、だけど老いは続いていく。

「病気」は僕からトライアスロンを取り上げた。
重症の脊柱管狭窄症が発症したのは63歳の時、トライアスリート生活26年間で酷使した身体がとうとう壊れた。起き上がることができない状態から、間欠跛行、杖での補助歩行、歩行・・と回復したがランニングらしきものができるまでに2年必要だった。
26年間通っていたスポーツジムを退会した、帰宅前のルーティンだった筋トレ、水泳、ストレッチを止めた。当然、トライアスロンレース出場も断念した、宮古島全日本、佐渡国際、ホノルル(トライアスロン)への参加はこの時点で途絶えた。
それでもあきらめの悪い性格なので65歳働き止め以降、走る愉しみだけは維持しようとファンランに徹し、年に一度のホノルルマラソンをその愉しみの頂点にした。
何のことはない、素人の街角ランナーから、フルマラソン完走、サブスリー達成、トライアスロンに進みアイアンマンという頂点に達し、そして行き着いたところがエアロビクス・ジョギング、宇宙をぐるっと一回りして地球に戻ってきたようなものだ、ランニングという宇宙を。
病気は僕から最愛のトライアスロンを取り上げた代わりに、強迫観念にすらなっていたトレーニングから解放し「走りの原点」を思い出させてくれた。
そして、だけど病気は続いていく。

まだ経験していない「死」は、それでは何を僕にもたらすのだろうか?
答えはとても簡単だ。
「老い」で仕事を捨て去ったように、
「病気」でアスリートを捨て去ったように、
「死」では自分そのものを捨て去る。
それは生きる喜びと裏腹な生きる面倒からの解放であり、
裡なる矛盾への内省反復の終焉であり、
すべてが無に還る本能的歓喜だ。
そして、死ですべてが終わる。

「捨て去る今日である日」を覚悟していようぞ。
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